受講生インタビュー

友人の著書PRで有名女性誌掲載獲得 ファッション×PRで社会貢献を目指す-麻日奈 芽実(あさひな めみ)さん

麻日奈芽実さんはパーソナルファッションディレクターとして活躍する中、60歳を迎える年にPR塾に入塾。多忙な合間を縫って学び、女性誌の掲載など実績を出されています。なぜPR塾を選んだのか、学びをどのように生かしたのか、お話をうかがいました。

Profile

役員秘書を経て、48歳未経験分野の起業で述べ6千人にスタイリングアドバイス。

経営者、起業家の未来を創る外見戦略をメインに個人向けサービス、全国のデパートでのセミナー講師、商品企画監修プロデュース、通販TV番組ゲスト出演等法人向けサービス、JPCA理事・マスターインストラクターとしてパーソナルコーディネーター®︎の養成も行う。

地方や海外にも顧客を持ち、外見戦略により収益アップ、法人設立、海外進出と共に自信が持てた、おしゃれが楽しくなったという声が届いている。

2022年4月〜女性の幸せを育む人モノことの認知を広げるPRプロデューサーの仕事もスタート。

HP:http://asahinamemi.com/

facebook:http://facebook.com/asahinamemi

Instagram:https://www.instagram.com/memiasahina_magnifique/

麻日奈芽実さん開催企業向けセミナー時の集合写真
(企業向けセミナー時の様子)

役員秘書から48歳でファッションの世界へ

-これまでに経験されたお仕事を教えていただけますか?

放送局、監査法人、投資顧問会社、証券会社、金融コンサル会社などで役員秘書をしていました。48歳で個人事業主としてキャリアチェンジして、今はパーソナルファッションディレクターという肩書で、個人向けのスタイリングアドバイスのほか、ファッションイベント企画やオリジナル商品のプロデュースといった法人向けサービス、パーソナルコーディネーター®の養成などファッションに関わる仕事をしています。

-秘書のお仕事からファッション業界とは大転身ですが、なにかきっかけがあったのですか?

もともとお洒落は好きでした。小学生の頃、今から50年近くも前の時代に父の仕事の関係でパリに住んだことがあったり、私が15歳の時に39歳で亡くなった母がとにかくお洒落な人だったりと、子どもの頃からお洒落が身近にある環境で育ったことが影響していると思います。高校からローザンヌ(スイス)に留学してホスピタリティを学び、将来は高級ブランドのアタッシュドプレス(広報担当)になることを夢見ていましたが、母が亡くなってその夢はかなわなかったんです。

ところが、46歳の時にリーマンショックのあおりで職を失うと同時に父が亡くなり、仕事と親を同時に失いました。離婚もしていて一人でしたし、再就職も難しい状況で、すべての自信を失っていた時に、あるコミュニティーで出会った経営者や個人事業主の方が「そんなにお洒落なんだから就職するより自分でファッションを仕事にした方が良い」と応援してくれたんです。そこから起業してもう10年以上になりますが、個人としては珍しくBtoBの仕事が多く、全国のデパートや一部上場企業ともお仕事をさせていただいています。

(2021年10月6日日経新聞折込のLADY TOKYO(レディ東京)10月号 掲載の様子)

強みを生かすために59歳でPR塾へ

-ファッションのお仕事で成功されている中で、なぜPRを学ぼうと思われたのですか?

ファッションとは一見全然違う世界のようですが、私が企業としているお仕事はかなり「広報」に近い立ち位置だったので、そこを伸ばそうと思いました。BtoBの仕事の一環として商品やブランドなどを「喜んでくださるだろうな」という方にお知らせするマッチングの役割が大きかったこともあります。

結果として売り上げが3倍以上になる企業もあり、この部分が私の強みならば、さらにそこを強化して力をつけようと考えました。人と競うのはあまり好きではないので、ナンバーワンよりオンリーワンを目指したかったんです。もちろんコロナ禍で収入の柱を増やしたいという思いもありました。

そんな時にお友達がPR塾に入って学んでいると聞き、PR塾のことも、代表の笹木郁乃さんのこともすごく調べて、2冊目の本が出たのをきっかけにセミナーと個別相談を受けて入塾を決めました。

-実際に入塾されていかがでしたか?

入塾したのがとても忙しい時期と重なってしまい、最初の数カ月は本講座に出るのが精いっぱい。他は何もできないまま過ぎてしまいましたが、テキストやカリキュラム、講義の内容はすごく分かりやすくて充実していると思いました。

-そうだったのですね。実際にクライアントさんのPRを始めたのはいつ頃からですか?

半年を過ぎた頃に、元々友人でもあった萩原健史先生が出版される2冊目の著書「奇跡の小顔ストレッチ カオレッチ」の広報を引き受けることになり、入塾のきっかけをくれた友人の砂羽美佳さんを誘って2人で担当することになりました。

1冊目の著書がたくさんのメディアに取り上げられていたので、すぐにでも掲載を獲得できるかと思ったのですが、コロナ禍前の1冊目で掲載されたメディアの方からは、まったく反応がなかったんです。

3カ月目が近づく定例ミーティング前に結果が出ていなかったので、契約期間を1カ月無料で延長させてもらおうと思ったその日に、STORY webへの掲載が決まり、続けて月刊誌エクラへの掲載が決まりました。エクラは特集の巻頭3ページで掲載され、それぞれYahoo!にも転載されたので、色々な方から反響をいただきました。

-素晴らしい成果ですね。PR塾のコンテンツは何が役に立ちましたか?

プレスリリースや企画書のひな形はもちろんですが、Slackの成果報告が宝の山でした。

「掲載されました」という報告だけでなく、工夫したことやそこから得られた学びなども書かれているので、とても勉強になります。最初の半年近く活用できていなかったことを非常に後悔しました。

それから、添削も本当にありがたかったです。粗削りで出しても、その都度細かく添削してくださって。クライアントさんにも私たちだけがPR代行をするのではなく「PR塾がバックアップしてくれます」ということをアピールしました。

エクラ11月号 特集巻頭3ページ掲載「奇跡の小顔ストレッチ カオレッチであごを取り戻す!」
(エクラ11月号 特集巻頭3ページ掲載)

会社設立とファッション×PRで社会貢献が夢

-入塾前の自分と比べて「変わったな」と思うところはありますか?

ようやくPRプロデューサーという肩書きを自分の仕事の柱として口に出せるようになりました。ありがたいことに「話を聞かせてほしい」「依頼したい」という方が何人もいらっしゃって、待っていただいている状態です。

起業してからの十数年でご縁があった方が多いのですが、「前から仕事関係なく人のことをPRしていましたよね」とも言われ、無意識に良いと思う人、モノ、ことを広めたり、応援することが好きなのだなと気づきました。

-今後の夢や目標を教えてください。

ファッションで社会貢献をするのが夢です。

起業するとすぐ東日本大震災があり、お洒落をすること自体がはばかられるような状況になって「ファッションって何の役にも立たないのかな…」と、打ちひしがれました。

でもその後、がんで闘病中の友人から「治療で髪が抜けたから帽子をかぶりたいのだけれど、肌にやさしい天然素材で明るい色のニット帽がないから探して欲しい」と連絡があり、探してみたら本当に売っていなくて。なんとか近いものを見つけて、可愛い飾りもつけてプレゼントしたら、本当に喜んでもらえたのをきっかけに、あぁ、ファッションでも社会貢献ができると思えたんです。

それ以来「補聴器に見えない補聴器を作りたい」とか、いつもそういうことを思い描いていて、実現できるような企業と繋がれたらいいなと思っています。そしてその取り組みを自分でPRできたら嬉しいですよね。

また、PRを1つの事業の柱となるように育て、ファッションの仕事と共に自分にとってベストなタイミングで法人化することが目標です。

-最後に、60歳になる年にPR塾を選んでくださった麻日奈さんから、入塾を迷っている方へひとことお願いします。

一年間の講座で、こんなにも手厚いところは他にないと思います。みんなに結果を出してもらいたいという思いがひしひしと伝わってきますし、具体的な方法を惜しみなく提供してくれます。資料やテキストが次々リニューアルされることにも驚きました。あとは自分がやるかやらないか。私のように60歳でも新しいことを始めて、こういう成果が得られるというのが、だれかの勇気になればと思っています。

-年齢を感じさせないエネルギーと前向きな姿勢に脱帽です。ありがとうございました。これからのご活躍も、夢の実現も応援しております。

※2022年10月26日取材当時の情報です。

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