情報発信とPRで挑戦する人々をサポート、「プロの裏方」として地方創生に取り組む―田中可奈子さん
東京の大手メディアに勤務した後、滋賀県高島市に移住して地域情報を発信してきた田中可奈子さん。PR塾で学んだことによって自信を付け、企業や自治体の案件を多数獲得されています。将来は全国のさまざまな地域で地方創生に貢献するのが目標と語る田中さんに、お話を伺いました。
PROFILE
東京在住時に大手メディア会社で、Webニュース配信などの情報発信を実務経験。妊娠を機に退職。 滋賀県高島市へ移住後は、地域の情報がネットから得られなかった経験から、2017年にローカルメディアを立ち上げる。その3年後にコミュニティスペースをオープン。行政や企業のプロジェクトに参加し、発信し続ける。ライフワークは「挑戦・発信(コミュニケーション)・循環」でお客さまの未来を変える。 小学5年生と3年生の2児の母。
Facebook:https://www.facebook.com/k.t.takashima
メディアの仕事を経験後、高島市に移住
―田中さんはこれまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。
地元の岡山県にある製造業の他、派遣社員としてさまざまな会社に勤務していましたが、いずれは自分で何かしたいと考えてパソコンやウェブなどの勉強をしていました。その後、上京してKADOKAWAの「ウォーカープラス」の部署で働くことになり、ライターさんが上げてくる原稿のチェックやWebニュース配信などの業務を担当していました。派遣社員でしたが、毎日大量に届くプレスリリースから面白そうなものを仕分けしたりするうちに、自分でも記事を書くようになりました。
―もともとメディアの仕事に興味があったのでしょうか。
はい。岡山にいた頃はライター講座に通ったこともあります。もともと情報発信には関心を持っていましたが、地方なのでそうした仕事はありませんでした。
―メディアの世界の仕事はいかがでしたか。
そもそもミーハーで(笑)、新しいものに触れたり好奇心を刺激されたりするのが好きだったので楽しかったですね。でも、将来自分で情報発信を行う想定はしていなかったです。夫の地元である滋賀県高島市に移住することになった際に、あるライターさんから「地方でもライターをやったらどうか」と勧められたのもあって今に繋がっています。
―地方でライターとして活動するのは難しかったのでは?
高島市に移住後、すぐにライターとして活動できたわけではないです。子どもが小さい頃はスクラップブッキングと呼ばれるペーパークラフトのアルバムづくりをしていたのですが、初めて住む地域で人脈はないし、思うように人を集めることもできませんでした。でも、働き続けたいという意思はあったため、自分で情報を発信しようと決めました。
それで、人や情報が集まるお店に通ったり、行政が主催する講座に通ったりするうちにだんだんと繋がりが生まれて、地域の情報を発信する「たかしまじかん」というサイトを立ち上げました。
―サイトの運営は順調でしたか。
基本的にはボランティアで収益はほとんどなかったのですが、取材を口実にさまざまな人に会えましたし、地方創生に関する情報発信は興味を持っている分野なので苦にはならなかったです。でも最初は怪しまれることが多く、正式に取材依頼をしても断られてしまうので、お客さんとしてお店を訪問して「ウェブに情報を載せても大丈夫ですか?」といった感じでお話を聞いていました。サイト自体は今年閉じることになったので、約7年間続けたことになります。
―地方創生に興味が湧いた理由は何ですか。
私の場合は人が好きなので、人を通してその場所が好きになっていく感覚です。よく移住してきた人から「高島のどんなところが好きですか?」と聞かれるのですが、元々は特に好きではなかったんです(笑)。でも地域の人と繋がりだすと、その周りの人たちや環境もどんどん好きになっていきます。現在携わっている地方移住や観光促進の仕事も、「人が好き」という部分が大きいですね。
PR塾では学びしかなかった
―PR塾にはどのようなきっかけで入ったのですか。
サイト運営からの収益もなかったですし、このまま年齢を重ねて50歳を迎えるのは嫌だなと思うようになり、それまでひっそりとやってきたことをもっとオープンにしていこうと考えました。
PR塾に入る前に起業塾でも2年ほど学んだのですが、そこは一般消費者向けのビジネスを中心に教えていて思うような成果が出なかったのと、自分はその方向性ではなく、企業と仕事をして収益基盤を固めた上でやりたいことができたら良いなと。地域の中小企業の多くがPRを十分にできていない状況を目にしていたため、以前から気になっていたPR塾に入ることを決意しました。
―実際に入ってみていかがでしたか?
メディアで働いていたのである程度はできるのではないかと思っていましたが、立場が変わればこんなにも変わるのかと驚きました。プレスリリースもなかなか納得いくものが書けなかったですし、やってみて初めてできないことの多さに気付きました。本当に学びしかなかったです。
始めの頃は十分に動ききれていなかったのですが、プレスリリースや企画書の作り方をしっかりインプットして、3件のモニタークライアントさんの新聞掲載を実現できたことで、情報を発信する大切さを実感しました。独学や思い込みではなく、実績のあるPR塾で学んだことによって、案件獲得にも自信を持てるようになりました。
口コミで自治体の仕事を多数獲得
―現在はどのような案件を手掛けていますか。
PRでは期間限定の企業案件とPR塾の仲間のサポートとして入っている案件の2つ。PRも含む地方創生の分野では、滋賀県と高島市の行政案件が4つ入っています。自治体案件ではさまざまな部署と関わっていますが、どの部署においても情報発信の必要性が高いと感じています。
―自治体の案件については、どのように獲得したのでしょうか。
口コミや紹介が多かったですね。「こんなことができるメンバーがいないか」といった話が出たタイミングで、私の名前を挙げてくださる人がいたりもしたようです。
―田中さんの名前がある程度知られていないと難しいと思いますが、どうやって周囲に認識されるようになったのでしょうか。
メディア出身だったので、今の時代に何が注目されるかかについては、ある程度分かっていました。たとえば、コロナ禍に地方から移住してくる人たちのためにコワーキングスペースをオープンして、SNSにも自分の顔を出すなど、積極的に表に出ていくようにしたんです。「たかしまじかん」のサイトにはあまり露出しなかったのですが、誰が運営しているのかと裏で話題になったりもしていたようです。
―コワーキングスペースとして開いた場所は今どのように活用しているのですか。
今は積極活用しておらず、事務所代わりに使っています。コミュニティスペースとして、たとえば企業の研修やイベントに使いたいといった申し出があった場合にだけ時間貸しする感じです。人が集まれる場ができた効果は大きく、周りからの信頼度も上がりましたし、繋がりのある人が他の人を連れて来てくれたりするなど、確実に恩恵を受けています。
積み上げた信頼は複利で大きくなる
―PRのノウハウと他のスキルを掛け合わせて活動する塾生は多くいますが、田中さんの場合もライティングやマーケティングスキルとの相乗効果のようなものは感じていますか。
どの場所に行っても、PRのスキルは有用ですね。私の場合は発信(コミュニケーション)がテーマになっているので、ウェブマーケティングの流れを学んだ後にPRを学んだことがとても役に立っています。
今後はスキルを生かして全国の地方創生に関わっていきたいので、法人化に向けて動き始めているところです。そのためにもPR案件の実績をもっと積み重ねて、もっと訴求できるように動いていきたいと思います。
―着実に積み重ねてきたことの成果が出ている印象です。
コツコツ努力するのはどちらかというと苦手なのですが、振り返ってみると好きなことだから無理せず続けられましたし、積み重ねてきた信頼が複利のように大きくなったことで、ようやく今にたどり着いた感覚があります。
―最後に、PR塾に入ってくる方たちにメッセージをお願いします。
私の場合は「50歳を変える!」という目標を掲げて行動し続けた結果、決意した頃とは違う未来に向かっています。何かを始めるのに最も早いタイミングは今ですし、確実に未来は変わるのでぜひ行動してほしいと思います。
―全国の地方創生で活躍されるのを楽しみにしています。本日はお話有難うございました。
※2024年6月取材時の情報です