受講生インタビュー

PR塾での学びを生かし理想の働き方を実現、発信力を生かして地方創生の力に―二木春香さん

会社員を経て、料理教室や起業塾などさまざまな挑戦を続ける中でPR塾に入塾した二木春香さん。身に付けた発信力と企画力によって、着実に実績を積み上げていきました。理想の働き方を実現するまでに歩んできた道のりと、今後の夢を語っていただきました。

PROFILE

「地方の発信力を底上げする!」 をミッションに、 地元島根を拠点に全国の《情報発信が苦手な》事業者にSNSを含めた広報・PRを教えている。 大学卒業後、10年間の大手スーパー勤務の後、 東京から地元島根にUターン。 料理教室講師を7年、 起業塾主宰を経て、 現在会社設立7期目。 老舗企業のコンサルティング実績多数。 商品開発からのアドバイスが好評。 保育園児から中学生まで、 3人男子の子育て中。PR TIMES公認プレスリリースエバンジェリスト。

会社HP https://cometrees.jp/

Instagram https://www.instagram.com/haruka_futatsugi/

Linkedin https://www.linkedin.com/in/harukafutatsugi/

さまざまな講座に通って自分に先行投資

―新卒でダイエーに入社されたそうですが、どのような業務に就いていたのですか。

最初は婦人服売り場から始まり、最終的には本社で新店舗開発に携わりました。部署は男性所帯ではありましたが仕事は面白かったです。ただ、会社が傾きかけていた頃だったので、出店よりも賃料の減額交渉などが中心になり、そのストレスのせいか小さなころから悩んでいたアトピーが酷くなってしまいました。

―退職後は料理教室を開いていたそうですね。

会社員時代からハマっていた食養生のマクロビオティックの資格を、長男の産休・育休期間中に取得して、自宅で教室を開きました。食事を変えることによって私自身のアトピーの症状も改善したので、多くの人に伝えたいと思ったんです。お客様はお母さんたちが多く口コミとSNSで集客していましたが、価格設定が上手くできなかったこともあり、ビジネスとしては今一つ伸びませんでした。

―その後、起業塾の講師になったとのことですが。

料理教室は7年間続けましたが、ビジネスとしては厳しかったのでどうしようかと悩んでいた時に、夫が申し込んできた起業家のための合宿に私が行かせてもらうことになりました。そこで学んだSNSやマーケティングなどの知識を生かして、私と同じように想いがあるのにビジネスとして続けられない人をサポートしたいと考えました。

―成果はすぐに出たのでしょうか。

やはり、たった3日間で学んだ知識を伝えるだけでは、生徒さんたちの結果に繋げることができませんでした。でも何とか結果を出したかったので、さらに別の講座でも学び、最終的にはある先生に長期で伴走してもらいながら、起業塾を軌道に乗せることが出来ました。

ただ、人間関係の問題に巻き込まれて辛くなってしまい、対個人ではなく企業を相手に仕事がしたいと思うようになりました。ちょうどそんな時に、私のコンサルを受けた男性起業家の方から世界進出を目指しているという話を聞き、それにはPRが必要だなと。そこで、以前から気になっていた笹木郁乃さんのPR塾に入ったという経緯です。OJT式PR塾になる前の12期生でしたね。

―当時はまだオフライン講義だったと思いますが、島根から毎回参加されていたのですか?

毎回通っていましたね。PR塾だけでなく別の講座も東京で受けていたので、頻繁に上京していました。当時の先行投資は今も返済中です(笑)。

対個人から法人相手の仕事が中心に

―PR塾の印象はいかがでしたか。

既に活躍されている方もいましたし、普段は出会えない人たちに会える場所だなと思いました。そんな中で郁乃さんが良い雰囲気を作ってくれましたし、郁乃さんが 道を切り拓いていかれる姿も、先を進む先輩として学ばせていただいていました。

―最初に成果が出た案件は何でしたか。

すぐにはプレスリリースの切り口も浮かばず、全然書けなかったのですが、2019年に地元の作家さんたちが開催するアート展に関してメディアアプローチを行ったところ、テレビと新聞2社ずつから取材を獲得できました。

ただ、その後はPR関係の仕事がたくさん入ってきたわけではないため、自分たちのPRを続けて信用を貯めていく作業に注力しました。たとえば、経済産業省が手掛けている中小企業や小規模事業者のための「よろず支援拠点」という相談所が全国にあるのですが、そこでSNS活用やプレスリリースの書き方などについて教える専門家として勤務したり、地元の中小企業の団体のセミナーで講師を務めさせていただいたりして、仕事を増やしていった感じです。

その他にも、「SNS広報マスター講座」を立ち上げました。最初は個人起業家の方の受講が中心でしたが、現在はリニューアルして「PRマスタープログラム」とし、企業の方の受講が多くなっています。

―希望していたように、法人相手の仕事ができるようになったわけですね。

そうですね。よろず支援拠点は「コンサルタントの登竜門」とも呼ばれているらしく、そこの専門家という肩書きを得たことで信頼が得られた部分はあると思います。あとは私自身が地元の中小企業家の集まりに入って、経営者の方々との繋がりができたことも今に繋がっていると思います。

地元に根付き口コミ中心に案件を次々に獲得

―一歩ずつ着実に成長していった感じですね。苦労したことはありますか。

はい。今は講座とコンサルティングをセットで提供していますが、地方の事業者が無理なく払える価格水準は都会とは違うのではないかと、こちらから金額を提示できないケースもありました。それでも受講したいと言っていただけて、契約更新となった会社が3社ほどになった時に、認められるようになったと感じました。

―契約更新できているのは、やはり相応の結果を出しているからですよね。

競争率が低い地方のアドバンテージでもありますが、たとえばこれまで手掛けたプレスリリースの8~9割ほどがメディアに取り上げられましたし、採用難の中でもSNSの活用によって1年間で9名の採用が実現した会社もあります。経営者の集まりの中で、私を推薦していただくケースもあるようです。

―自ら積極的に営業して新規開拓するわけではなく、地元に根付いて自然と仕事が入ってくる感じですね。

営業する余裕がないというのもありますが、先方から興味を持っていただく形が多いですね。現在は10社のクライアントを抱えています。

―PR案件をそれだけ抱えるのはかなり難しくないですか?

そこは工夫していて、私はPR代行業務ではなくコンサルティングに特化し、講座では文章術やマーケティングなどを夫ともう一人の先生にも担当してもらっています。

―PR塾だけでなく、他の場所で得た学びも含めてビジネスに活用していますね。

まさにそういう感じです。その中でも、PR塾で得たものは何と言っても会社紹介資料の作り方で、B to Bのビジネスを手掛けるにあたって資料を作れるようになったことは大きかったです。何かを提案するにしても、まずは資料を見せてからになりますから。

企画力でメディア取材を獲得

―女性による起業スクールも増えているのでメディアにPRするのが難しくなっていると思いますが、そこで工夫したことはありますか。

時流を捉えることは意識していますね。たとえば、コロナ禍ではそれまで実施していた対面セミナーをオンラインで行う、というだけでもメディアに取り上げてもらえました。あとは持続化補助金を使って立ち上げた出版社の話や、その出版社から発売した地元の温泉街の本に関してリリースを打って、メディアに取り上げられました。

そのほか、ワ―ケーションという言葉が流行り出した際に、女性起業家4人を島根に呼んで、松江市役所の職員さんとの意見交換会を行う企画を実施したり、東京から講師を招いたセミナーに地元の老舗企業が多く参加するという内容のリリースを打ったりして、取材に繋げていきました。

セミナーに登壇し、情報発信の大切さについて語る

―企画力が素晴らしいですね。今後取り組んでいきたいことは何ですか。

地方になるほどどうしても情報発信に関するリテラシーが下がっていくので、これまで培ってきたスキルを使って、地方創生に貢献したいですね。そもそも島根に戻ってきた時に抱いたのは、地元には良いものが沢山あるのに知られていない、知られないと残っていかないのでなくなってしまうという危機感でした。さまざまな場所に出かけるのが好きなのもあるので、全国の地方で企業活性化の役に立ちたいと考えています。

―最後にPR塾生にメッセージをお願いします。

私の場合、理想として描いていた形で働けているので、今とても幸せです(笑)。ブランディングや情報発信は何をするにも必要なスキルだと思うので、PR塾生の方やこれから入塾を考えている方々には、迷わずにできるだけ早く身に付けてほしいと思います。

―理想の実現に向けて着実に歩んできた経験は、他の塾生にも大いに参考になると思います。本日はお話ありがとうございました。

※2024年6月取材時の情報です