受講生インタビュー

デザインとPRスキルを掛け合わせ自身の本業とクライアントの成長に繋げる―髙橋まり子さん

何度か転職を繰り返しながら、キャリアや収入に関して不安定な20代を過ごした髙橋まり子さん。フリーランスデザイナーとして活動をしている中で、PR塾に入塾されました。PRという新たな武器を身に付けたことで、活動内容や将来展望がどのように変わったのか、お話を伺いました。

PROFILE

1979年静岡県浜松市生まれ。湖西市在住。 高校卒業後、上場企業(デザイン部署)に就職するも3年で退職。 その後3回転職し、経済的にも精神的にも不安定な20代前半を過ごす。 「大好きなデザインの仕事に戻りたい」 と地元の印刷会社に再就職。グラフィックデザイナーとして編集を担当し、6年間で印刷知識と編集スキルを身につける。結婚・出産で印刷会社を退社し、1人目を出産後の2013年、起業家セミナーを受講。 2015年(34歳) で2人目の出産直前に起業届けを提出し、スモールステップで仕事をスタート。2023年7月PR塾に入塾。 2024年PRモニターのサポートをスタートし、実績と経験を積む。

入塾のきっかけは絵本作家の北島多江子さんとの出会い

本業は、フリーランスのデザイナーだそうですね。

フリーランスになる前は、印刷会社に6年間ほど勤務してデザインの仕事をしていました。高校卒業後にも一度デザインに関わる仕事に就いたのですが退職し、エステティシャンになったり看板制作会社に勤めたりとさまざまな職場を経験しましたが、やっぱり大好きなデザインの仕事に戻りたいと思って現在に至ります。

フリーランスになった理由は何ですか。

結婚と出産を経て、産後に元の会社に復職するには距離的に難しかったことに加え、再就職するにも希望に合う求人が見つからなかったので、自分でやってみようと考えたんです。それで起業塾に入りましたが、最初から「起業するぞ!」とやる気に満ちていたというよりは、とにかくデザインの仕事がしたい一心で、子育てと並行しながら少しずつフリーランスの道を歩み始めたという感じでした。

―PR塾に入ったきっかけは?

フリーランスになった後に、絵本作家で朗読家の北島多江子さんと湖西市のイベントで知り合いました。その後、北島さんとはSNSでつながって、メディア掲載を獲得するのを目にしていました。同じく、北島さんと出会った私の友人から、北島さんがPR塾に入って活動しているという話を聞き、興味を持つようになりました。

面白い繋がりですね。当時はPRの必要性を強く感じていたのでしょうか。

フリーランスとして宣伝用チラシなどを制作していましたが、お客様に納品した後、実際の集客状況や売上への貢献できているだろうか?という想いがありました。そこで、PRを通じてメディアへの露出もお手伝いさせてもらうことで、お客様の事業の拡大や売上アップに繋げられるのではないかと。それまでは印刷会社の知識と経験だけでやってきたので、武器となるような具体的なメソッドを身に付けて、自信を持ちたいとも思いました。

北島多江子さん(右)との縁が後のPR塾入塾に繋がる

クライアントさんには主にどのような方が多かったのですか。

最初は、起業セミナーの講師の方からチラシの依頼をいただきました。その後は起業塾で知り合った個人で事業を営まれている方が多かったですね。紹介でお仕事を頂くこともあり、さまざまな分野のお客様の名刺やチラシなどを担当してきました。

記者との繋がりを大切にしてメディア掲載を獲得

実際にPR塾に入った印象はいかがでしたか。

情報量が多く吸収するのが追い付かない部分はありましたが、講師・塾生の皆さんが前向きに頑張っている様子を見て、私も頑張ろうと思えました。フィードバックやアドバイスでとても勇気をもらえる場だと思います。

デザインは職人的なスキルが必要ですが、PRにはコミュニケーションスキルも求められます。そのあたりは問題なかったでしょうか。

正直なところコミュニケーションは苦手な方で、上手く情報や想いを伝えるのが難しいと感じることもありました。ただ、メディアへの電話アプローチの仕方などもPR塾の講義で具体的に教えてもらうことができ、その通りにやれば良いんだと思って取り組むことができました。

最初にPRに取り組んだのはどのような案件でしたか。

まずは北島さんの絵本プロフェッショナル協会のPRをお手伝いする他、リーフレットを作らせていただいたご縁から、モニターとして静岡県を拠点とするブライダルプランナーチーム「One Page」さんが主催するフォトウェディングのPRを担当させていただきました。

―PRを実際に自分で行ってみて、苦労したことはありますか。

北島さんは比較的大きなメディアからアプローチを開始しましたが、結果が出せず、地方メディアへのアプローチにシフトして、ラジオ局の取材を獲得できました。それをきっかけに、ローカルメディアから徐々に掲載が連鎖する「シャンパンタワー」の最初の一端を体感することが出来ました。

絵本の読み聞かせ会のプレスリリースを送った後は、そこで知り合えた記者さんに専門家企画書を作成して送り、中日新聞の人物紹介コーナーに取り上げられました。粘り強く連絡先を聞いたり追加情報を送ったりすることで、記者さんとの繋がりが作れたと思います。

フォトウェディングのPRはいかがでしたか。

地方新聞2社と地元のケーブルテレビの取材が獲得できました。北島さんのPRを通じて知り合った記者さんに情報を送って、湖西市の担当記者さんに繋いでいただいた形です。やはり記者さんも人間なので、信頼関係をつくる事がとても大事だと実感できました。

フォトウェディングの取材風景

地方で大きく広がるPRの可能性

―PR塾に入って良かったことは何ですか。

一番の学びになったのは塾生のみなさんのマインドの部分です。私の場合、決して積極的な理由だけで起業したわけではないですが、塾生仲間や講師の皆さんが前向きに励ましてくださったこともあり、マインドセットが一段上がったと思います。

Slackでの添削もとてもありがたく、講師の方のアドバイスによって自分のプレスリリース作成の精度も上げていけたと思います。 講義で足りない部分をアーカイブ動画で繰り返し確認できましたし、結果を出し続けているリアルな内容だからこそ、講義の内容や得られたマインドセットを素直に受け止めることを意識しました。

具体的なメソッドについても電話のかけ方ひとつから教えてもらえるので、すぐに行動に移せました。デザインの仕事だけやっていた時よりお客様に提供できるものが増えたので、自信を持って目標を立てられるようになりました。

入塾前に考えていたように、PRを武器とした活動は始められていますか。

これからというところですね。子どもの夏休み期間ということもあり、今はメニューや料金設定などをじっくり考え、秋以降は本格的にPRのサービスを提供していけたらと思っています。デザインの仕事絡みでなくても、PR単体の案件も積極的に受けていきたいです。

数年後の理想像のようなものはありますか。

まずは、周りのお客様にPRとデザインで、今まで以上の付加価値を提供し、もっと貢献できるようになりたいと思っています。フォトウェディングのクラアントさんの事業が撮影会をきっかけに拡大して行く際には、ぜひ、継続して関わりサポートさせて頂ければと考えています。

将来の理想としては、一人でやっていくのは限界があるので、チームとして仕事に取り組めたらという夢があります。PR代行もそうですが、ホームページ制作は得意な方と協業し、お互いの苦手な部分を補完しながら、お客様に提供できるサービスの幅を広げられたらと思っています。

最後にPR塾に入ろうと考えている方にメッセージをお願いします。

自薦の広告ではなく他薦の口コミの時代にPRはますます重要視されていくと思いますし、私のように地方で活動するPRパーソンはまだ少ないので、始めるなら今がチャンスだと思います。

先日フォトブライダルに取材に来ていただいた記者さんから、個人でプレスリリース作成やアプローチを手掛けるPRパーソン会ったのは私が初めてとお聞きしました。地方在住の方にとって特に、サービスに付加価値を付ける手段として、PRには大きな可能性が広がっていると思います。

地方在住の方には心強いメッセージですね。本日はお話有難うございました。

※2024年7月取材時の情報です。