受講生インタビュー

3代続いた老舗食堂の閉店を乗り越え、県内初の炒飯専門店として再出発!地元テレビ4局、新聞社3社取材獲得し、県外からもお客様が来店!―東や3代目さん

地元福島で70余年続く老舗食堂の魅力を広めるために入塾するも、直後に母親の体調悪化でお店は閉店が決定。想定外の事態に再起を決意させたのは同じ福島県内のPR塾卒業生のひと言!仲間の励ましを受け、閉店から半年後に福島県初の炒飯専門店として再オープンすると地元民放テレビ4局、新聞3社取材獲得し、土日には県外からの来店客も!地元の全メディア制覇も、一番の成果は「人とのつながり」という”東や3代目”さんに再起の軌跡を伺いました。

■PROFILE

福島県いわき市小名浜で73年続いた老舗食堂「お食事処東や」の元3代目。(2022年末に閉店)2023年6月に福島県初の炒飯専門店(1日100食限定)として再開。看板メニューは、アニメ化され、台湾でも絶大な人気を誇る小川悦司著の料理漫画「中華一番」にヒントを得て考案した「爆旨えびちり炒飯」。引きこもりから祖父の故郷台湾で人生再出発し料理人の道へ。

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‐小さい時から料理の道に進むと決めていたのですか?

全くそんなことはなくて物心ついた時からずっと食堂を経営する家族の姿を身近で見てきて、やはり長時間であまり休みもないし「大変そうだな」と思っていて、できれば継がない方向で考えていました。進学を機にいったん地元を離れましたが、そこでの人間関係に悩み、大学は中退。これからどうやって生きていけば良いか人生の目標も見えず、ドン底にいた時期があったんです。その時、台湾の南投県地方出身だった祖父が、「せっかくだから」と故郷の台湾に連れて行ってくれました。そこで人の温かさに触れ、「祖父が創業した歴史あるお店を継いで守っていきたい」という気持ちが沸き上がり、料理の道に進むことを決め、東京 荻窪にある「春木家総本店」で中華料理の修行をしまた。このお店は日本テレビ「ズームイン!朝!」で紹介された、伊丹十三監督の「タンポポ」のモデルとなったラーメン店「春木屋」の本家となるお店です。

地元に戻って両親と3人でお店を切り盛りしていましたが、6年前に父が亡くなり、3代目としてお店を継ぎ、厨房に立っていました。

(取材時の様子)

これ以上、どうお客様を惹きつければ…

PR塾出身で経営者として成功されていた、同じ福島県在住の鈴木浩三さん(PR塾卒業生)の活動が新聞に掲載されていて、「こんなすごい人が地元にいるんだなぁ」と思っていました。SNSで繋がっていたんですが、そこで笹木郁乃さんの書籍を紹介していて、それが、PRに興味を持つきっかけになりました。

私も自分のお店のSNS発信はしていましたが、いくら毎日色々なバリエーションで投稿しても、今以上にお客様を惹きつけるのは難しいなと悩んでいました。その一方で、鈴木さんは同じ地元でメディアに取り上げられたりSNSでバズってカフェが話題になっていて、どうしてこんなことができるんだろう?何が違うんだろう?とずっと気になっていました。少しでも近づいて何か得るものがあればと思っていた中で、鈴木さんがPR塾で学ばれたことを知り、思いきって入塾を決めました。

閉塞感を打ち破り前を向く人たちのコミュニティ、ずっとこういう場が欲しかった!

‐実際に入塾してみて、PR塾はどんな印象でしたか?

地元で感じていた閉塞感とは全く違い、前向きなキラキラした感じが印象的でした。すごく刺激になり、楽しい!と感じたのを覚えています。「やってもしょうがないよ。売り上げ上がらなくて大変だよね。」っていう後ろ向きな考えではなく、「やればできるんだ。必ず結果が出るとは限らないけれど、頑張ろう!」と前を向いている方ばかりで、こういう世界があるんだ、こういうコミュニティがずっと欲しかった、入って良かった、と感じました。新鮮でした。

‐PR塾での学びをどのように進めていかれましたか?

 入塾して間もなく、二人三脚でお店を切り盛りしていた母が体調を崩してしまったんです。そこでお店の休日を1日増やすことにして、それを本講義開催の木曜に決めました。その日はまる一日PRの学びに使うことができたので、この時間は大きかったです。本は購入して読んである程度内容は理解していましたが、そこにはないものがPR塾にはあると思ってそれを知りたくて入ったので、Zoomでの本講義やアウトプット練習会では本当に学ぶことが多かったなと思います。

お店は閉店のピンチ!塾生仲間の「もったいないよ」の一言でリスタートを決意!

‐そんな中、3代目を継いだお店は“閉店”することになるのですよね?

母の体調面を考えると2人でお店を続けていくことが難しく、仕方のない決断でしたが、PRをするつもりだったお店自体がなくなるなんて私自身も想定外でした。閉店から5カ月後に炒飯専門店として再オープンした今思うと、閉店からの再起という経緯はストーリーとして理解してもらいやすく、メディアの方の興味関心や共感に繋がったようにも感じていますが、これからどうしようという気持ちでした。

‐再オープンを決意したのは、PR塾卒業生からの一言がきっかけだったそうですね。

 昨年末に閉店し年が明けた頃、入塾のきっかけとなった鈴木浩三さんが気にして下さり、「このままお店をなくしてしまうのはもったいない。手伝うよ。」と言ってくれました。その時初めて、創業支援という形で融資を受けることもできると知りました。閉店したお店にはお客様から再開を望む声があったものの、自己資金だけで再開は難しいと思っていた中で、この鈴木さんとのやり取りが私に再スタートを決意させました。すぐに、店舗の売却予定だった不動産会社の担当者に「売却はキャンセルします」と電話をしました。

‐PR塾でどんな成果が得られましたか?

一番大きな成果は人脈です。取材獲得も成果ではありますが、それ以上に、PR塾で共に頑張る全国の人たちとSNSで繋がることができ、直接話を聞けたのは大きかったです。昨年末にお店を一度閉店し時間ができたタイミングで、同じ月にPR塾に入った“同期”のオフ会が東京であり参加した場では、みんなが再スタートを応援してくれました。地元では無関心だったりあまり良い反応がなかった一方で、土地を離れれば視点も違うとわかって、すごく心強かったのを今でも覚えています。私以外の同期メンバーはPRで何かしらの成果を出してうまくいっていたので、皆さんから聞く実際の話は、書籍やメディアよりも何倍も価値があり、たくさんの学びがありました。もし、PR塾を知らずに地元でコツコツ仕事をしていたら絶対に出会うことができなかった方ばかりなので、入塾してほんとうに良かったです。

先ほどから話に何度も出てくる、地元福島のPR塾卒業生、鈴木浩三さんとつながりが持てたのも、やはりPR塾という同じコミュニティがベースにあったおかげだということはすごく感じています。PR塾内ではお互いをあだ名で呼び合うのがルールで、“たかちゃん”“こうちゃん”と呼び合い、ざっくばらんに雑談や相談ができたことで、“こうちゃん”も親身になって私を気にかけてくれたのではないかと思ってます。

 

(取材時の様子)

‐一度閉店し、半年の準備期間を経て、福島初の炒飯専門店としてリスタート!地元民放テレビ4局・新聞3社取材獲得、他メディアも取材待ちという素晴らしい成果ですね!

プレスリリースを丁寧に添削をしていただいたおかげで、社会性に評価をいただき、オープン前に福島中央テレビや福島テレビの取材につなげることができました。

オープン当日は開店前からテレビ局3社の取材が突然入って、お店の仕込みもありバタバタでした。取材が入った場合の対応をもう少しシミュレーションしておけば良かったかなと思っていますが、メディア取材もSNS投稿と連携してできるだけシャンパンタワーに繋がる行動を意識しました。その甲斐あって、テレビ民放4局と新聞3社、地元メディアの制覇に成功しました! オープン時期には忙しくて取材調整をしていたフリーペーパーなどのメディア取材もこれから順次受けていく予定です。去年9月に入塾して長い期間、なかなかPRの成果を出せていなかったので、今もまだ自分のお店がテレビに出たっていうのは信じられないような気持ちですが、オープンから1か月が経った今、土日には県外の方もご来店いただけるようになりました。

厨房に立つのは私一人なので、1日100食限定で売り切れ次第終了にしているんですが、今後はECサイトを立ち上げてオンラインでもこだわりの炒飯を販売していけたらと次の柱を構築しているところです。

プレスリリースを名刺代わりに持ち歩いてお店をPR!

‐こうした成果を上げるために工夫されたことはありますか?          

 再オープンする前の食堂で地産地消の新メニューを出した際には、作成したプレスリリースを名刺代わりに持ち歩き、交流会などで出会う方に一人ずつ手渡ししてご縁が生まれるように心がけてきました。再オープンのリリースは、そうやってすでに繋がっていたメディアの方に連絡をして直接手渡したり、電話をしたり、できることはダメ元で良いので徹底してやるようにしました。掲載はされませんでしたが、台湾の新聞社の日本支局にも電話をしてリリースも送付したんですよ!

プレスリリースの中身でいうと、再オープンに至った経緯を、閉店の事情も含めてしっかりと書くようにしました。昨年末の閉店も「お店を続けられなかった、失敗してしまった」とネガティブな評価もできますが、「リリースのストーリーに活かせる!」というPR塾での考え方を吸収し前向きに捉え、リリースに盛り込みました。一度閉店したお店にまた人が集まるかどうかもわからない、逆境の中での再オープンというストーリーにメディアの方が目をとめてくれたのではと感じています。

‐PR塾で学んでご自身が一番“変わった“と思うことは何ですか?

行動力が身に付いたことです。入塾した当初は自分の名刺もない状態で、何をすればいいかもわからなかったのが、受講生の皆さんの色々な話を聞いてやり方を具体的に学べたことで、行動を起こせるように変わったと思います。ダメ元でもドキドキしながら電話したり名刺交換ができるようになりました。講義の中で、講師の方たちでさえも最初は緊張しながらやっているという話にはすごく勇気づけられました。

生きる道しるべになった自分のルーツ「台湾」といわきの架け橋になるために

‐今後叶えたい夢や目標をお聞かせ下さい。

いわき市と台湾の高雄市の文化と経済の交流をより活発に発展させることです。そのためにはまず私が台湾へ足を運び、イベントなどに参加して日本と台湾のメディアで取り上げられる事を第一目標にしています。そして台湾の魅力をいわきに向けて発信して交流のきっかけを生み出したいです。いわきには「観光アドバイザー」がまだいないので、いわき市長に手紙を送り、観光アドバイザーを設置してもらえるよう行政に”PR”しています。双方の地域の魅力を伝えあう橋渡しの存在になれるように種まきをコツコツをやっているところです。

自分がどん底にいた20代の頃にもし台湾へ行こうと祖父が言ってくれてなければ、今の自分もいない。あの台湾旅行のおかげで自分のルーツを見直し、生きていく方向性が定まったので、その感謝の気持ちをこれから還元していきたいと思っています。

最終的なゴールは、台湾有事の際の、民間の支援団体をいわき市に作る事です。テレビ局のアナウンサーにもお話したのですが、台湾有事の話が笑い話で済む事が一番理想ですともお話しました。

‐最後に、PR塾への入塾を検討している方へメッセージをお願いいたします!

まさか自分がLITAマガジンに取り上げてもらえることになるなんて驚きでしたが、何か言えることがあるとすれば、何もないことがチャンスになることもあると思うんです。私の場合は自分に何もなかったから、がむしゃらに行動できたし、学ぼうとしたし、吸収するしかなかった。自分に満足していたら、その先の行動力には繋がっていかなかったでしょう。「ダメ元でもいいから行動あるのみ!」それをこの1年近くかけてPR塾で学んできました。PR塾に入ったことで私は大きく変わりました。地方にいてもオンラインで画面越しから前向きなパワーをもらい、それが行動力の源になりました。色んな経営者の方と繋がれるチャンスは地方にいる人ほど少なくなると思うので、そういう人ほどチャレンジする価値は大いにあると思います!

―ありがとうございました!これからのご活躍も楽しみにしております!

※2023年7月12日取材当時の情報です。