受講生インタビュー

自分のキャリアだけでなく仕事のやり方や会社の方向性を変えられるのがPRの醍醐味―平木佳代さん

新商品の販売促進のために入塾し、結果を出すことで自身の働き方や会社の方針を大きく変えることに成功した平木佳代さん。組織に所属しながらPRを実践する醍醐味について、語っていただきました。

PROFILE

IT事業・イベント制作企業で総務、経理、人事を経験後、キャリアアップのため山仁薬品株式会社に転職。新事業部、新商品開発の担当となり認知拡大の手法を学ぶため、PR塾に入塾。現在はPRプロデューサーとして企業PRと商品PRを行う。

Facebook https://www.facebook.com/kayo.hiraki.7/

HP(山仁薬品株式会社) http://www.yamani-g.co.jp/

Instagram(山仁薬品株式会社)https://www.instagram.com/yamani_dryern

新商品の販売促進のためにPR塾に入塾

―以前は、IT事業やイベント制作を行う会社に勤められていたそうですね。

はい。大学生時代にその会社が法人化する前からアルバイトをしていて、IT事業を立ち上げるのを機に社員として入りました。総務・経理業務などに従事して17年間在籍したのですが、体調を崩したことや挑戦したいことがあったのも理由で、退職して現在の職場である山仁薬品に入社しました。

今の職場の代表である関谷康子とは前職時代に参加した研修で縁があり、定期的にお付き合いしていたんです。ちょうど新たな事業部を立ち上げるタイミングと私の退職が重なったため、転職することになりました。

転職した山仁薬品は2024年に創業70周年を迎えた

―転職してからは、どのような業務に就かれたのでしょうか。

ちょうどコロナ禍に入るタイミングで、入社してしばらくは除菌消臭剤の営業のようなことをやっていました。その後、B to Bで提供していた乾燥剤を一般消費者向けにも展開しようという話が持ち上がり、事業の立ち上げに関わるようになりました。

―PRに意識が向いたのはどうしてですか。

最初は、PRについては全く考えていなかったんです。C向けに商品をつくるのは初めてなので、パッケージデザインの決定などにも時間が掛かり、準備が整うまでに結局1年くらい掛かってしまいました。やっと調味料専用乾燥剤「カタマラーーン」という新商品ができて営業担当者も置いたのですが、少人数なうえに慣れない業務で、どうやって販売を伸ばしていったら良いのか悩んでいました。

本来は小売店に置いてほしかったのですが、営業の仕方もB向けとは勝手が違うためなかなか上手く行かず、手っ取り早いのが通販でした。ただ、ひとつの商品だけを自社の通販サイトで売るとなると効率が悪い上にサイトの維持費も掛かるので、どうしようかと思っていました。そんな時にFacebook広告でPR塾について知り、LINE登録して動画をいくつか見るうちに、お客様への働きかけ方などをここで学べるのではないかと思いました。

―すぐに入塾を決めたのですか。

PR塾の動画を最初に見たのが2022年の12月ごろで、翌年1月には入塾しました。参加費用を予算として確保するために関谷に プレゼンしたところ賛同してくれましたが、関谷自身はPRの業務までは手が回らなかったので、私が入塾することになりました。

商談会に出展した「カタマラーーン」

最初のメディア掲載で販路開拓に成功

―最初はSNSよりメディアPRから取り掛かったのでしょうか。

SNSは商品専用アカウントも作っていない状態だったので、メディアPRからですね。オンライン講義をただ聞くだけではなく、グループワークで本気の意見交換を行うので考え方が整理されましたし、仲間の塾生たちがSlackで私のことを覚えてくれたり応援してくれたりして励みになりました。ちょうど入塾月に「アットプレス」にプレスリリースを配信することになっていたので、早い段階から添削に出すなどして取り組みを進めた結果、『日経MJ』が記事に取り上げてくれました。

―早々に成果が出たわけですね。メディア掲載の反響はいかがでしたか。

消費者からの反応はそこまで多くなかったのですが、掲載をきっかけに楽天やアマゾンに商品を出している企業から声が掛かり、販売をお手伝いしてもらうことになりました。また、ヨドバシカメラの担当者からも連絡が入って、カタマラーーンをオンラインショップで販売してもらえるようになりました。

―苦労していた販路開拓ができたわけですね。

そうですね。その次は夏ごろに打ったリリースをきっかけに「週刊粧業」の「ヒット商品母子手帳」のコーナーで紹介されましたし、スポーツ紙や雑誌の読者プレゼントコーナーへの掲載など、小さなところから少しずつ広がっていきました。日経MJにも二度目の掲載が叶って、露出が増えるにつれて販売も伸びていきました。現在、累計販売実績は約1万2千個に達しています。

―メディアPRで意識したことや苦労したことはありますか。

とりあえず習ったことを実践しようと思って記者クラブも回りましたし、あまり電話する時間も取れなかったのですが、ひと月に10メディアには何らかの形でアプローチしました。

でも、秋口になると、湿気が気になる日も少なくなり、メディアの反応も薄くなり始めて少し焦りました。そこで、商品のPRはいったんやめて、会社のストーリーにフォーカスしたアプローチに方向転換し、関谷が先代から事業承継して15年間取り組んできた改革について伝えるようにしたんです。すると、また取り上げてくれるメディアが増えて「ツギノジダイ」や「Bizhint」、その他複数のオウンドメディアへの掲載が決まり、BSテレ東の「アルバレスの空」という番組でも紹介されました。日経トップリーダーからは講演依頼もきましたね。

「アルバレスの空」の取材風景

―社内の反応はどうでしたか。

もともとB to Bがメインの会社なのでPRに対する意識が低く、最初に日経MJに掲載されたときも「何かやっているんだな」程度の反応でした。でも、掲載が重なるにつれて社員たちの意識も変わり、年度方針を考える際にPRもテーマに入ってくるようになりました。結果が出たことによって、PRの重要性が認識されてきた感じです。

―PR塾で学ぶことで平木さんの仕事の中身も変わりましたか。

以前の私の仕事は、売上を立てて伝票を作るだけでほぼ終わっていたので、PRが加わることによって大きく変わりました。また、今までは一人でPRに取り組んでいたのですが、社内全体でネタを集めて行こうという流れに変わり、周囲を良い意味で巻き込めるようになったと思います。

忙しくはなりましたがストレスは全くないですし、東京に出ていく機会も増えて、さまざまな人たちに会って情報を得られるのが楽しいです。

毎月本社で行われる戦略策定会議に参加する平木さん

―今後、挑戦したいことはありますか。

当社としてはB向けに既にある程度浸透している「ドライヤ―ン」という先代から続けてきたブランドを乾燥剤の代名詞にするという目標があるのですが、それをC向けにも確立させたいです。

――フリーランスや経営者と違って、平木さんのように組織に所属してPR塾で学ぶ人たちにメッセージをお願いします。

私はもともと文章を書くのにも時間が掛かるし、できれば人前で喋りたくないほうだったので、営業職をやりたいと思っていたわけではありません。ですので、PRのためにメディアに電話アプローチを行う際などは不安もありましたが、PR塾のフォロー体制がしっかりしているので心強かったです。実例なども動画で学べますし、いつでも質問が出来ますし、塾生同士の交流会も頻繁に行われています。そうした暖かい環境が用意されているので、仮に社内に相談する人がいなくても、PR塾で解決する方法がたくさんあります。一人でやっている感覚はないので、ぜひ頑張ってほしいと思います。

何も動かなければ何も起きませんが、自分が動くことでメディアの人たちも反応してくれて、結果が出れば会社の業績にも貢献できます。自分自身のスキルアップと共に、そうした変化を起こして、会社の信用を作れるところにやりがいも出てきます。諦めずに続けることで会社自体を変えて行けるのが、組織に所属しながらPRに取り組む醍醐味ではないでしょうか。

―実際に、ご自身の立場や仕事のやり方を変えることに成功したからこその言葉ですね。本日はありがとうございました。

※2024年5月取材時の情報です。