受講生インタビュー

大手外資系企業の広報歴20年以上。PR塾で基本を学び直し、会社を設立。PRの仕事を通じて、日本を明るく元気にしていきたい。井上敦子さん

アメリカ留学後、帰国して大手外資系企業の広報で20年勤務。1,000社以上のメディア掲載を経験するも、学び直しのためにPR塾に入塾。副業やフリーランス経験がなかったものの、PR案件獲得の方法を実践したり、塾生仲間に感化され、2022年6月にPR会社を設立。現在はチーム化し、メディアPR以外にもデジタルコミュニケーションやデザイン制作、ライティング業務など幅広く支援されています。外資系企業の会社員としての立場から人生を見つめ直し、働き方を大きく変えた井上さん。PR塾に入ったきっかけや、起業するまでの経緯、今後の夢をお聞きしました。

PROFILE

iA PR コンサルティング株式会社 代表 PRコンサルタント

米国マサチューセッツ大学経営学部、経済学部卒業後、欧州高級消費財や米国ヘルスケア業界など大手外資系企業の広報に20年ほど従事。企業ブランディングやコーポレート、プロダクト広報とともにデジタルコミュニケーションを担当。PR塾での学びを経て、2022年の6月にPR会社「iA PR コンサルティング株式会社」を設立。ビジネスの発展に貢献するサービス提供を目指し、様々なPR関連業務を提供している。

iA PR コンサルティング株式会社HP:https://www.iaprconsulting.com/
X: https://twitter.com/inoueatsuko_pr
LinkedIn: https://www.linkedin.com/in/inoueatsuko/
Facebook: https://www.facebook.com/inoueatsuko.pr

外資系企業に勤務し、広報歴20年以上。仕事一筋の生き方を見直す

-PRコンサルタントになる前は、何をされていましたか?

企業の広報担当として、20年以上勤務してきました。インテリアやヘルスケア業界など、外資系の会社、3社を経験しました。最初の職場では、会社の知名度向上や販促のバックアップになればと思い、広報部門を自分で立ち上げ、ひとり広報としても活動していました。

-就職する前は、アメリカに留学されていたそうですね。

高校卒業後、18歳の時に渡米し、アメリカのマサチューセッツ大学の経営学部と経済学部で学びました。その後、日本に戻って就職したのですが、はじめは日本の年功序列の文化に全く馴染めず戸惑いました。アメリカでは、意見を発言しない人=存在価値がない人という文化のなかで教育を受けたため、日本語でのコミュニケーションのバランス感覚に悩まされたこともありました。せっかく帰国したのにカルチャーショックになりましたが、今では留学していたと言うと驚かれるほど日本人らしくなりました。

仕事も自分で広報部門を立ち上げた頃から、楽しくなってきました。広報の仕事は一人ではできず、さまざまな部署の方に協力していただく必要があります。コミュニケーションを取って仕事を進めるうちに、とてもやりがいのある仕事だと感じ始めました。20代と30代は、仕事が生きがいでしたね。

しかし、父が亡くなったことをきっかけに、仕事一筋できたけれど、このままでいいのかな?と考えてしまいました。悩んだ結果、仕事を退職し、母と一緒に趣味や旅行をしたり、現在の主人と出会って結婚したり、プライベートが大きく変わりました。

その後、再就職し、アメリカの会社で広報の専門家やマネージャーとして働き、さらに仕事が生きがいになりました。そんななか最後の職場では、毎週夜10時から12時といった夜間にオンラインのミーティングがある会社で、生活リズムが崩れてしまいました。在宅勤務で仕事をしていたことも、一人で仕事をする環境も自分には合っていなかったようです。
当時、東京五輪スポンサー企業の広報が経験できるチャンスがあったのですが、中止になったり、色々重なって辛い時期が続きました。そんな時にPR塾に出会い、リカレントを通じて気分を一新したいと考え入塾する事を決めました。

PR設計を使って日々の業務を言語化。仕事の効率化につながった

-広報で20年の経験があるにもかかわらず、PR塾に入った理由は?

当時、リカレント教育が非常に流行り始めた時期でした。ずっと広報をやってきましたが、今まで体系的に学んだことがなく、全てOJTで学んだ自己流でした。スキルアップや、今までの広報の仕事を振り返る意味でも、基本から学びなおしたいと思い入塾しました。結果的に起業を志すこととなり、自分の人生の決断の中で1番大きな経験だったように感じます。

-PRのスクールが数ある中で、PR塾を選んだ決め手はあったのですか?

それまでも、SNSやウェブサイトなどに特化した講座は受講したことがありました。しかし、いずれも短期のものでした。今回は体系的に長い時間をかけて、じっくり学びたいと考えていました。
そんな時にPR塾のことを知り、基礎から時間をかけて学ぶことができるのは、いいきっかけになるんじゃないかと思いました。また、塾生の皆さんが卒業後に活躍されている姿を動画で見たり、代表の笹木郁乃さんのメッセージに感銘を受けて、一緒に学びたいと思ったのです。

 -PR塾に入って、一番良かったことは何ですか?

自分や会社の魅力を言語化するPR設計を学べたことが一番よかったです。事業内容や商品・サービス内容を説明するプロセスをPR設計で言語化することで、業務の効率化につながりました。
また、私は外資系の会社で働いていたので、海外本社から届く戦略に沿ってPRするというのが大前提でした。しかし、日本の市場に対しては、日本向けに作らなければなりません。その際に、PR設計やフレームワークを活用することで効率化できたのもとても良かったです。また中小企業向けPRの感覚が理解できたことも大きな自信になりました。

独立したものの上手くいかない日々から、チーム化で10社以上のPRを担当するまでに成長

-今はご自身でPR会社をされているのですね。

2022年の6月に独立、起業をしてPR会社を運営しています。まさか自分が起業をするとは思っていませんでした。PR塾の塾生が活躍していたり、独立されるのを見て感化され、私も独立を考えるようになりました。

学び直す中で、PRのさまざまな基本の業務を見つめ直すことができました。また、今まで営業の経験が全くなかったのですが、お仕事の契約を獲得する具体的なアプローチを教えてもらったことも自信につながりました。スキルを学び、まわりの環境に後押しされて、独立できたと思います。

-独立したものの、会社員の方が良かったと思った時期もあるそうですね。

私はフリーランスもせずに、突然会社を立ち上げたので、最初は非常に苦労しました。営業活動が苦手で自分1人では心細く、うまく会社が軌道に乗らずに不安も大きかったです。一番苦労していたときに、LITAの交流会で、郁乃さんに相談したんです。その時に、チームを作ってやっていく方法もあるとご指南いただきました。それからすぐにチーム体制を整えました。少数精鋭で15名ほどのメンバーですが、業界経験10年以上の方が中心のプロフェッショナルなチームをつくることが出来ました。
チーム化することで、メディア向けPR以外の案件もお受けできるようになりました。今ではPRコンサルティング以外にも、ブランディングからウェブサイト、デザイン制作や執筆、デジタル広告など幅広く対応しています。

PRの仕事を通じて日本を元気づけたい

-PR塾に興味のある方へメッセージをお願いします。

PR塾はPRだけを学ぶ場ではなく、起業塾のようだと感じています。私自身、リカレント教育として入塾したのですが、PRを仕事として独立することができました。塾生と共に学び、さまざまな交流があって、キャリアチェンジを決意する原動力を高めてもらえたと思います。人生の次のステージに進まれたい方にも、PR塾をご検討していただけたらいいんじゃないかなと考えています。

-今後の夢や目標はありますか?

「明るい未来を創造し日本を元気づけていく」ことを企業理念として活動しています。日本の経済は非常に厳しい状況が続いていますが、PRの仕事を通じて微力ながら日本経済を下支えするために尽力していくことを夢見ています。

-貴重なお話をありがとうございました。これからの活躍も楽しみにしています。

  ※2024年1月取材当時の情報です。

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