受講生インタビュー

家族の海外転勤などによりぶつ切りの職務経歴に悩むも、副業で始めたPRで大手メディア掲載獲得。PRプロデューサーとして独立-金子美和さん

金子美和さんはお子さんが中学生になったのを機に、本格的に長く続けられる仕事を探したいとPR塾に入塾されました。会社に勤めながら副業でPRの仕事もはじめたところ、多くのメディアに取り上げられ、新聞夕刊1面への掲載も獲得。 今年PRプロデューサーとして独立されました。PR塾での学びをどう生かして実績につなげたのか、お話をうかがいました。

■Profile

中小企業、小さな起業の広報PR支援/サービスやモノの認知向上・ブランディング/教育系団体、不動産系サービスのクライアント様サポート中/企業リサーチ、外資系広告・ブランディング、キャリコン 異業種経験多数/TOEIC905/宅建士/家族は夫と中学生の娘、トイプードル

■SNS

Twitter:https://twitter.com/kaneko_pr

Facebook:https://www.facebook.com/kaneko.pr

10名ほどの参加者が、室内で話を聞いている様子
(不動産ネットワーク内での内覧会の様子)

ぶつ切りのキャリアがコンプレックス 。長く続けられる仕事がしたかった

―金子さんはこれまでに色んなお仕事をされてきたとうかがいましたが。

はい、関わった業種は多岐にわたります。まず新卒で入社したのは日本経済新聞社の総合調査会社。日経各紙の記者が記事を書くにあたり必要な調査を行いデータを集めるリサーチャーとして、「企業のランキング調査」「企業の環境経営度調査」などを担当しました。2年目から担当を任されて、やりがいはあったのですが、とにかく忙しく、4年ほどでアメリカに語学留学するため退職しました。

2年間アメリカ(ニューヨーク・ロサンゼルス)のカレッジで学位を取得。一方、インターンでロサンゼルス在米日本人向け情報誌「US FrontLine」のエディターアシスタント、ライターを経験。

帰国してからは、証券会社の広報部で、日経新聞全面広告などの広告キャンペーン業務、ブランディング、ロンドン、スイス本社とのコレスポンデンス業務に従事していましたが、夫の海外赴任(ロンドン)に帯同するため退職。今思えば辞めずに日本に残ることもできたと思いますが、その時の自分にその選択肢はありませんでした。

その後も転勤や出産などのたびに、英会話講師、国際会議の事務局、字幕翻訳、キャリアカウンセラー、不動産営業事務及び重要事項説明業務と、去年までさまざまな業種を転々としていたため、どんなに一生懸命取り組んでも、ライフイベントのたびに“ぶつ切り”となってしまうキャリアが、人から見ると中途半端に見えるのではないかとコンプレックスでした。実は「お受験ママ」もやったので専業主婦だった時期もあるんですよ。

―本当に多岐にわたる経験をしていらっしゃるんですね。なぜPR塾に入ろうと思われたのですか?

娘が中学生になり、急に自分の時間ができたので、そろそろ腰を据えて働きたくなりました。これまでぶつ切りのキャリアだったので、この先長く続けられるキャリアを築きたいと思ったのですが、会社員としてフルタイムで働こうという気持ちにはならなかったので、フリーランスで興味を持って楽しいと思える”何か”を探している時にPR塾を知りました。

民泊をやりたいという夢があるので、それを実現させるにも「人に知らせるスキル」は必要だし、色んな場面で役に立つんじゃないかと思って、清水の舞台から飛び降りる覚悟で入塾を決めました。

(ゲームマーケットに出展した際の写真)

入塾と同時にマインドが変化。最初から実践モードで取り組んだ

―実際に入塾された印象はいかがでしたか?

講師陣も塾生もフレンドリーであたたかい印象を受けました。あと、年齢層もキラキラの若い人というより、落ち着いた感じだったので安心しました(笑)。

覚悟を決めて入塾したので、しっかり実践して取り組もうと、まず知り合いにモニターをお願いしたのですが、それまでの私は人にお願いごとをするのが苦手で。全部自分でやってしまうタイプだったので「PRを学ぶのでモニターを探しています」って表明することはすごく勇気が要りました。でもそのおかげで自分のマインドや「在り方」が変わったと思います。今年は「自己開示」がテーマです。

―入塾と同時にマインドが変化されたんですね。「日本テセレーションデザイン協会」のPRで数多くの実績を出されていますが、どんなことを意識して取り組んだのですか?

「テセレーション(tessellation)」というのは、ある図形を隙間なく平面に敷きつめたもののことで、「敷き詰め図形」、「敷き詰め模様」などと呼ばれます。協会はこの「テセレーション」を通じた教育活動を推進する数学者やグラフィックデザイナーなどが非営利目的でライフワークとして活動しているような団体。とにかく「知ってもらう」ことが必要だと思いました。

まずは「T3パズル」というテセレーションのパズルのピースを使った敷き詰め模様のコンテストのPRからはじめたところ、地域のFMやケーブルテレビなどでは取り上げていただきました。ただ、コンテストはWebでの募集なので「現場がない」ということで、関連イベントとしてワークショップを提案して開催。地元の新聞に取り上げられました。

また、パズル考案者がWebメディアに掲載されたり、コンテストが産経新聞の地方版に掲載されたりと少しずつ広がり、去年の年末には毎日新聞の夕刊一面に「テセレーションパズルとは」という大きな記事が掲載されました。丁寧に伝えていただいて感激しました。

―まさにシャンパンタワーの法則ですね。

PRを進めていく中で、戦略的なイベントの打ち方や、パズル考案者が学長を務める大学やその地域の方々とのつなげ方など、メディアに興味を持ってもらえる仕掛けのコツがだんだんわかってきました。

コンテストもこれまでは、結果を発表して終わりでしたが、今回から作品展を企画して、全国持ち回りで開催することにしたんです。協会はこれまで専門家の集まりだったので「一般人の目線」でアイディアを出したり、意見を言ったりできる存在としてお役に立てているかなと思います。

―これまで様々な分野で活躍されてきた金子さんならではの企画力と行動力で実現された結果だと思います。PR塾の“ここが良かった”というところがあったら教えていただけますか。

Slack添削は活用しました。プレスリリースやPR設計、電話のスクリプトなども添削していただきました。また昼間は出勤だったので、夜間講義で学び、アウトプット練習会には欠かさず参加。さらに相談会で質問して補完というのを繰り返しました。

基本怠け者なので、自分を追い込むためにすごく苦手だけれど「メディア交流会」の1分間プレゼンにエントリーしたり、受講生仲間が開催してくれる「架電実践会」に参加して不得意な電話を掛けたりできる環境がありがたいです。

―今後の夢や目標を教えてください。

できるだけ長く、継続した一生のキャリアとして楽しく仕事ができたらいいなと思っています。フリーランスになろうと思ったきっかけは、両親を東京に呼ぶことになったというのもあるのですが、もっと自分の能力や考えを生かせる仕事をしたいという思いもありました。

いままでキャリアを重ねてきた中で、自分は「トップの直下で、その人の意図を的確にくみ取って自走する」というのが自分の強みだと思っています。ゼロイチでななく、トップの方がこうしたい、という1を聞いたら10動けることを考えて実際に動くのが得意なんです。これはまさにPRパーソンとして生かせる強みなのでは、と思っています。

また 最近では、新しいクライアントさんとの契約が決まり、不動産のあらゆる困りごとに応える不動産ネットワークのPRを担当することになりました。正直に、誠実に取り組んでいる方々の思いにとても共感できるので、必要な方にしっかり届けていきたいと思います。

―最後に、PR塾への入塾を迷われている方にひとことお願いします。

PR未経験でも、バリキャリじゃなくても、PR塾のメソッドを素直に実行に移していけば実績は作れます。PR塾生はギブの精神な方が多いので、共に励ましあって頑張れる環境があります。

もし私のように、「何かやりたいけれど何をやっていいのかわからない、強みがわからない」と、エネルギーはあるけれど自分で悶々と悩んで方向性に迷っている方は、一気に視座が高くなります。「今からやるぞ」っていう人にはとてもいいと思いますよ。

―ありがとうございました。今後ますますのご活躍を楽しみにしています。

※2023年1月30日取材当時の情報です。

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