受講生インタビュー

PR塾での学びと広告・イベント業界で培った企画力を生かし、メディア掲載を続々と獲得―松本万里さん

以前はラジオ局や広告代理業で活躍されていた松本万里さん。広告の前にまず企業の発信の土台を整える大切さに気付き、広報支援を仕事にしたいと思ったそうです。しかしご家族の都合などでキャリアは一時中断。再開にあたり知識とスキルをアップデートするために選んだPR塾での学びをどのように生かして成果につなげたのか、お話をうかがいました。

Profile

武蔵野音楽大学器楽科(ピアノ専攻)卒業。新卒で入社した静岡エフエム放送で企画・広報に10年間従事。後に、広告代理店業として起業する。前職での広報や企画力を生かし、広告販売だけはなく、Webや印刷物などの営業ツールの制作や、イベント企画運営にも、定評がある。

静岡県広告協会CMグランプリラジオ部門優秀賞2回受賞、浜松市中心市街地活性化イベントの事務局として、12万人を集客する。

強み:社交的・発想企画力

趣味:旅行・情報収集・頑張っている人を応援

好き:音楽・NHK・西島秀俊・北欧

HP:https://mary-ag.com

Twitter:https://twitter.com/mary_a_PR

Instagram:https://www.instagram.com/mary_a_pr/

広告の仕事をする中で、企業の広報支援の必要性を感じる

―もともとはマスコミ関係のお仕事をされていたとうかがいましたが。

はい、大学を卒業して、地元静岡のラジオ局に就職しました。イベント企画や広報などを行う「営業企画」と呼ばれる部門に配属されて、イベント企画や、Webコンテンツなど、リスナーの喜びを創出する仕組みづくり全般を担っていました。

HPの管理人をしたり、SNSを立ち上げたり、番組パーソナリティが写真を撮ってブログにUPすることで、PVを上げる仕掛けを作ったりして、「WEBマスター」と呼ばれていました。リスナーを巻き込んで番組を盛り上げるという、今は当たり前のように言われている「ファンマーケティング」をかなり早い段階からやっていたんです。

会社の体制がすごく古くて、当時女性は10年までしか働けなかったので、32歳で退職。独立したら20代前半からプライベートでやっていた「イベント運営」を仕事にしようと思っていたのですが、最終日に会長から呼ばれて行ってみたら「あなたは広告の仕事をやりなさい」と言われ、“マリーエージェンシー”という社名までいただいてしまったので、半年ぐらい色々学んで、2012年に広告代理業で開業しました。

―独立されてからのお仕事はいかがでしたか?

広告販売だけではなくWebや印刷物などの営業ツールの制作なども手掛け、ラジオ広告では静岡県広告協会の広告賞でラジオ部門の優秀賞も受賞しました。

また、たまたま浜松の中心街に事務所を借りていたこともあって、中心市街地活性化イベントの事務局のお話もいただき、12万人規模を動員するイベントを2年間運営。官民一体の大規模イベントだったので、一気に名前が知れて「あの会社は何でもやってくれる」と評判になり、仕事が多すぎるのでアルバイトを雇って回していました。

―順調にお仕事も増えて、知名度も上がっていったんですね。

はい。でも、広告発信の仕事をする中で、まずは広告より前に企業側の「発信力の土台」をサポートしたほうがいいのでは?と感じていました。2014年の目標として「企業の広報支援をしたい」と掲げたちょうどその年、記者だった夫の転勤で浜松から静岡に引っ越すことになりました。しばらくは新幹線通勤をしていましたが、今のようにリモートで働ける時代ではなかったので仕事は縮小。事務所も閉じて、どうしても自分でなくてはならない仕事以外は全て手放しました。

夫は当時社会部担当の新聞記者だったのでとても忙しく、気づけば私は「家を守る係」のような存在になっていました。さらに、知り合いが少ない沼津に転勤になったころには、夫の活躍が恨めしく、活躍している人を見てはモヤモヤし、辛い時期でした。

ワークショップでの集合写真。松本万里さんと、参加されたメンバーの皆さん。
(ワークショップの様子)

夫の働く姿を目の当たりにしてメディアの価値に気づく

―キャリアが中断されるモヤモヤを抱えながら転勤に同行されるお気持ち、よくわかります。その後も転勤生活は続いたのですか?

次の転勤先は、浜松の中山間地域で、住居と事務所が一緒になっているいわゆる「ひとり支局」でした。サルに追いかけられたり、車とシカが並走していたりする自然が豊かすぎる環境。その地域に記者は1人しかいないので、朝から色んな人が訪ねてきます。

最初は馴染めなかったのですが、夫の取材に同行する機会が増えて、そこではじめて夫の仕事がどういうものかを直接見ることができました。使命感を持って取材をしている姿、地域の方が喜んでくださって、感謝されている姿を見て、街中では感じられなかった新聞の魅力やニーズ、メディアの価値を感じたんです。

メディアに掲載されることは広報支援になるんだと改めて気づいてからは、自分から応援したいネタを探すようになりました。面白そうな人を見つけては夫にプレゼンするという、「家庭内メディア交流会」みたいなことを3年くらい続けました。

―そこがPRを学ぼうと思われた原点なのでしょうか?

そうかもしれないですね。その後妊娠出産を経験したり、親の体調が悪くなり夫が会社を継ぐことになったりと状況が変わり、そろそろまた本格的に仕事を始めたいと思った時に、コンサル業をしている友人から『0円PR』の本(PR塾代表・笹木郁乃の著書)を教えてもらいました。

それまでPR=広告だと思っていたので、「0円じゃないし」と思いながら読んだのですが、そうじゃなかった。まさに私がやりたかった企業の広報支援ができる!と運命を感じたので、自分の知識とスキルを最新にアップデートするためにも「この一年は学ぶ!」と決めて入塾しました。

―ご自身がやりたいと思っていたことと合致したのですね。PR塾に入った印象はいかがでしたか?

入塾して、最初の講義が「出版PR」だったので、まったくわからず、いきなり挫折しました(笑)。産後育休ボケや、オンラインに慣れていなかったこともあり、正直に言って、はじめはついていけなかったです。

またクライアントやモニター候補さんからいただくのはSNS代行のお話が多く、メディアPRはベースになかったので、自分の中でも消化しきれず、しばらくはモヤモヤしていました。しかし、「PR設計」や「プレスリリース」の講義を受けて「自分がやりたいのはやっぱりこれだ」と確信しました。

プレスリリースは、前職でやっていた書き方とは全く違って、1枚にたくさんの要素が凝縮されていて、びっくりしました。身近に記者がいるので、メディア視点は分かっているつもりでしたが、いざ自分が書いてみるととても難しかったです。

でもPR塾のサポートは手厚いので、「失敗してもいい! とりあえず書いてみよう」というスピード感が大事だと思いました。また、お手本にしたい諸先輩方と多く出会えたことが、何よりも嬉しかったです。

(ラジオのご様子)

持ち前の企画力で取材の機会を創出

―クライアントさんが何度もメディアに掲載されていますが、何か工夫をされたのでしょうか?

オフィスデザインを手掛けているクライアントさんは、新しくレンタルスペースを作っているところだったのですが、オープンは何カ月も先だったので、すぐにプレスリリースを書くネタはありませんでした。

そこで何かネタはないかと社長にヒアリングをしていたのですが、なかなかいい切り口が見つからず、オンラインの朝礼に顔を出してみました。

すると「これからコツコツ自分で壁を塗ります」という話が出たので、これをイベントにしたらどうだろうとひらめき、すぐに提案。「夏休みに親子で参加するリノベーション体験教室」が実現することになりました。プレスリリースを書いて、記者クラブに投げ込んだら記者さんが取材に来てくださって、新聞に掲載されました。

PR塾の講義の中でも「新しいネタがなければ、切り口を変えて企画力でネタを作ればいい」という話がありましたが、まさにこういうことなんだなと実感しました。

その後も内覧会や、事前告知、オープンのタイミングですべて取材が入り、さらにはこの会社がシェアオフィスも運営していたことから、「働き方について」をテーマにした取材の依頼もいただきました。アプローチしなくても、メディアの方からご連絡いただけるようになって嬉しいです。

―深く関わって情報を得ることが、新しい切り口の発見につながったのですね。

今回の経験で、社長だけでなく、社員にも話を聴く機会を増やし、逆にこちらから会社に「こんなことしたらどうですか?」と提案するのも、広報の仕事だと気づきました。

これからは外部の人間でありながら、ハブとしての機能を果たし、インナーブランディングから広報支援をしていきたいと思うようになったんです。

社員とコミュニケーションを取ることで、社長にも見えていない良さや可能性が見えてくるという、深い意味での広報の可能性が見えたのは大きな経験でした。

今年から父の会社のPRも担当することになったので、今まさにインナーブランディングからはじめています。

―今後叶えたい目標や夢を教えてください。

PRの仕事は全国どこででもできますが、ずっと静岡にコミットして生きてきたので、やはり静岡の企業をはじめ、良い商品、サービスを応援したいです。

インナーブランディングの面だと、女性の働き方にはまだまだ課題が多いので、女性がやりがいを感じる会社、お互い理解し合うことを尊重できるような組織作りが、今の時代には必要だと思っています。まさにその伝達役として、社内の人が思っているけれど言いにくいことを、社長にも言えるような存在になりたいと思っています。

―最後に、入塾を考えている方へメッセージをお願いします。

PR塾はただ「学ぶ場所」だと思っていましたが、入ってみると、そこには「コミュニティ」がありました。

これまで長年、フリーランスで広告をやっている女性とは出会った事がありませんし、いまも身近にPRをフリーランスでやっている人はあまり見かけません。

PR塾には、モデルや目標になる方がたくさんいて、横のつながりもできるので、一気に世界が広がりました。

私ははじめの4カ月ほど無駄にしてしまったので、最初からSNSなどでどんどん人と繋がり絡んでいく事で、さらにPR塾での学びが深まると思います。

―貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。今後ますますのご活躍を楽しみにしております。

※2023年1月18日取材当時の情報です。

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