受講生インタビュー

局アナからのキャリアチェンジに悩み育休中に入塾 経験を生かしたPRでメディア掲載続々獲得、フリーランス広報として独立-名久井麻利さん

PR塾生の名久井麻利さんは、仙台の放送局でアナウンサーとして大活躍されていましたが、SNSコンテンツの台頭などから「局アナの役割や存在意義」を考え、キャリアチェンジを視野に入れ始めました。しかしこれまでのキャリアを生かせる転職先には出会えず、育児休業中にたまたま目にしたPR塾の広告で「フリーランスPR」という選択肢に気づきます。「これなら16年間のキャリアが生かせる」とピンときた名久井さん。即入塾を決め、その後退社し、現在はフリーランスのPRプロデューサーとして活躍されています。0歳児を育てながら実績を重ね、独立された名久井さんのPR塾活用方法をうかがいました。

■PROFILE

岩手県盛岡市出身。大学卒業後、tbc東北放送入社、アナウンス部に配属となる。以来、16年間、TV・ラジオの様々な番組を担当し、2023年2月に退社、独立。現在はフリーランスの広報・PR業を主軸に、フリーアナウンサー、専門学校講師、スピーチレッスン開講、子育て応援ユニット結成など、多岐に渡り活動中。

HP:https://marinakui.com/

Instagram:https://www.instagram.com/mari_nakui/

-これまでの経歴を教えていただけますか?

今年の1月まで、仙台にあるtbc東北放送というTBS系列の放送局で、16年間アナウンサーをしていました。いわゆる局アナです。ラジオ・テレビの兼営局で、それぞれ複数の番組を担当していました。ジャンルとしては、情報番組、ニュース、バラエティ番組、音楽番組など多岐に渡ります。

サンドウィッチマンさんの冠番組では、初代アシスタントを7年半務めました。その番組のロケ中に、気仙沼という沿岸部の町で東日本大震災により被災。震災関連の取材も数多く経験したので、後世に震災を語り伝えることについては、大きな責任感と役割を感じています。

インタビュー力を評価していただいて、音楽番組では新人バンドからビッグアーティストまで、ラジオのワイド番組では街角の皆様にインタビューを重ね、その回数はおよそ2000回にのぼります。その他、ディレクションや機材の操作も含めた完全ワンマンでのラジオ番組制作も多数経験していますし、CMや番組のナレーション、イベントや式典の司会も大好きな仕事です。

-局アナとして大活躍されていたのですね。なぜPRの仕事に興味を持たれたのですか?

まもなく40歳になるのですが、30代半ばから転職、キャリアチェンジを考え始め、これまでのスキルを活かせる転職先を探していました。一番大きな理由はSNSコンテンツの台頭です。放送局のアナウンサーとしての役割や意義って何なのだろうと、3年くらいモヤモヤしていました。

複数の転職サイトに登録して、39歳で初めて本格的に一般企業を含めて転職を考えたのですが、アナウンサーって特殊な専門職で、転職するのも簡単ではなくて。広報だったらできるかなと思ったのですが、仙台はいろんな会社の「支社」が多いので、広報の仕事は少ないと言われ「私は何ができるんだろう?」と思っていました。

複数の転職サイトに登録し、一般企業の面接を受けたり、内定をいただいた会社もありましたが、本当に納得のいく働き方を叶えるのは難しく途方に暮れていたところ、何気なく見ていたInstagramに、PR塾の広告が出てきて、初めてフリーランスのPRという選択肢に気づきました。

仙台にいても、どこかの企業に属さなくても、キャリアが生かせる、というかむしろ武器になるかもしれない!とピンと来て、早速LINE公式から動画を見たところ、これまでの番組出演や制作の経験と重なる部分が多く、これなら16年間のキャリアを活かしながら、プラスαでPRというスキルを身に付けられるとワクワクしました。

すぐに無料カウンセリングを受けて、翌月に入塾、その翌月には会社に退職を伝えていました。

-すごいスピード感ですね。実際に入塾されてみていかがでしたか?

おととし9月に第二子を出産して育児休暇中に入塾したので、育児や家事をしながら、動画教材を「聴いて」勉強していました。孤独なワンオペ育児の合間に、自分のスキルアップのための勉強が出来たので、コロナ禍の育休が一気に充実しました。こんなに楽しい学びがあるのか!と魅了され、今もそれが続いています。

会社員時代、先輩アナウンサーから「仕事楽しい?楽しいと疲れないよ」と言われた事がありました。その時は「それなりに楽しいけど、仕事は仕事でしょ…」と思っていたのですが、PRの学びとアウトプットは心から楽しくて、いくら忙しくても疲れないんです。先輩の言っていた事は、こういう事か!とPR塾に入って初めて思いました。

動画を観はじめたら「もっともっと観たい!」となるし、これまでの自分のやってきた仕事の中から「分かる!」って具体例が浮かびます。取材者の立場のやってきたこと、当たり前に通り過ぎていたことが言語化され、体系化されているので、経験が生かせているという実感が持てるんですよね。

-0歳の赤ちゃんを育てながらの受講は大変ではなかったですか?

私は「母」でも「妻」でもない自分でいる時間がないと駄目なタイプなので、育休が明けるまでは、PR塾の動画を観る時間が「自分になれる」リフレッシュの時間だったんです。本講義もアウトプット練習会もメディア交流会も、子どもを抱っこ紐で抱っこして参加していました。途中で、ミルクやオムツで画面オフになることもありましたが、他にも同じようなお母さんがいらして、それでも受け入れてもらえる環境もありがたかったです。

退職前に3カ月だけ復職したので、その間はリアルタイムで出られませんでしたが、育休中はほぼ皆勤でした。

―PR塾がリフレッシュの時間だったんですね。その学びを早い段階から生かされていましたよね。

はい。入塾2カ月で犬の保護活動と障害者就労支援を両立されているモニターさんが大手新聞に掲載され、その後地元テレビ局でも特集されました。私自身もキャリアチェンジについてWebメディアやタウン情報誌に取材していただいたり、自主企画のイベントを地元の新聞に取り上げていただいたりしています。「PRを始めたよ」とお友達に言いふらしていたら(あらゆる場面でお友達に話すようにしていたら)、宮城県内の飲食店さんをご紹介いただき最近お手伝いをはじめ、早速地元タウン誌に紹介されました。

また、メディア掲載ではないのですが、InstagramでPRについて発信していたら地元の新聞社の方からご連絡をいただきました。PRについていろいろお話しさせていただく中で「これまで自分たちの取扱いを説明してこなかった」とおっしゃっていたので、これから「PRを伝える」という方向でも広がるのではと期待しています。

さらに、なんと大手飲料メーカー新入社員研修で講師も務めることになりました。先方からのご期待が大きいとプレッシャーも大きいですが、PR塾で習った通り「自分の期待値」を上げて頑張ります。

子育て応援ユニット・イベント時で話す名久井さん
(子育て応援ユニット・イベント時)

―数々の実績を出されるための秘訣は何だったのでしょうか?

本講義はや動画で学ぶのはもちろんですが、Slackもかなり活用しました。プレスリリースや企画書、PR設計などの添削も、質問のお答えも内容が充実しているし、丁寧だなと思います。取材されるプレスリリースのコツは理解しているつもりでしたが、いざ自分で書くとなると思うようなリリースを書けず、「分かる」ことと「出来る」事は、大きく違うと痛感しました。その「分かっているけど出来ない」部分に具体的は答えをいただけるのがいいですよね。

Slackは情報の宝庫なので他の塾生の成果報告も小まめにチェックしています。「そんなメディアあるんだ」とか「なぜ今このリリースを出すのか」という切り口など、自分に取り入れられそうな部分をノートに書き出しています。そのノートを時々読み返すことで、自分に足りない部分を補うことが出来ますし、そこから掲載を獲得したこともあります。

また、多少自信がなくても、メディア交流会の1分プレゼンには参加するようにしています。自分では気付けなかった貴重なフィードバックを得ることが出来ますし、不甲斐ない結果になった時は、それはそれでやる気に火がつくので(笑)。メディア交流会での結果が悔し過ぎて、その日のうちにフィードバックを生かしてリリースを書き直してメディアにアプローチしたところ、新聞掲載を獲得したこともあります。

―Slackノート!なるほど、いいアイデアですね。メディアアプローチの際に、心がけていることはありますか?

純粋に「これを知ってほしい」という思いが強いと、掲載につながると思います。この掲載を機に集客したいとか、下心があるものは掲載につながらないことを実感しています。「これは社会に必要とされている」とか「役に立ちたい」という思いが確立されていると軸がブレないんですよね。

大事にしているのは、そのクライアントさんの商品、サービスのファンになること。心から応援したいという思いやビジョンへの共感がないと思いが載らないし、いいPRもできないと思います。

相手のことを良く知って、自分自身の心が動いたものを「一緒に神輿を担ぐ運命共同体」のような気持ちでPRすると、活動の熱量も変わってきます。また、「掲載がゴールではない」というのは、常に自分の中に課していて、その向こうに信頼があって、プラスαになるものがないといけないと心がけています。ただ掲載されるだけじゃなくて、誰かの人生をいい方向に変えられる掲載にしたいんです。だからスキル、人脈、すべてを惜しまず出し尽くして自分ができることは全部やりたい。もっともっと学び続けて、提供できるものを常に増やしていきたいと思っています。

先日も、PRをお手伝いしている飲食店さんと百貨店のバイヤーさんの商談にもご一緒したんです。中に入ってコミットしていると、責任もやりがいも感じます。放送局時代は取材で関わっても、どうしても浅く広いお付き合いになってしまっていたので、今、お一人おひとりに深く向き合って、中長期的にサポートしていくというのがとても性に合っていると思います。

モニターになっていただいた障害者の就労支援に取り組むNPO法人では、初めは1人だった利用者が、メディアに紹介されてから6人に増えたそうです。ただ掲載されて終わりではなかったことが本当に嬉しいです。

―商談にも同行してくれるPRプロデューサーの存在は、クライアントさんにとってとても心強いですね。名久井さんがPR塾に入ってご自身が一番変わったと思うのはどんなところでしょうか?

人生そのものが大きく変わりました。先ほどもお話ししましたが、PR塾に出会うまでは、キャリアチェンジ=どこかの企業に中途入社する、しか考えていませんでした。徐々に独立への決意を固め育児休暇から復帰する前に、会社に辞意を表明。3カ月限定で復職し、局アナ生活を締めくくる段取りをつけて、今年1月に退社。2月から独立して、今に至ります。キャリアチェンジを決意させてくれたのは、PR塾の後押しのおかげです。

また、塾生の皆さんとの出会いが、とても大きな財産になっています。向上心や学びの意欲が強く、「ギブ」の精神に溢れた方が多いので、とても刺激になっています。自主的に開催される勉強会に参加したり、親しい仲間とは毎週朝礼を開いたりして、情報や悩みを共有。フィードバックやサポートもし合っているので、フリーランスになっても、孤独を感じることがありません。出会いは財産だなと実感しています。

デスクで仕事をする名久井さん(イメージ)
(仕事中イメージ)

―素敵な仲間づくりもされているのですね。今後の夢や目標を教えていただけますか?

私は盛岡出身で仙台に住んでいるのですが、東北ではまだまだ「PR」の概念そのものや価値が知られていません。どんな価値やメリットがあるかを知ってもらう役割を果たしたいと思っています。PRを仕事にしている人や会社もほとんどない状態なので、東北でPRといえば私、という草分け的存在になりたいです。ひとりでできることには限界があるので、チーム化と法人化を考えています。できれば同じ仙台で、同じ価値観を持ちながら、私にはないスキルを持って、ビジョンを共有できる仲間と一緒にやっていけたら最高です。宮城の放送局で16年間たくさんの方に応援していただいたので、PRで恩返しできたらと思います。

―最後にPR塾への入塾を検討されている方へメッセージをお願いします。

これまでのキャリアやスキルとPRを掛け合わせると、唯一無二の存在になれるチャンスがあります。志の高い仲間に囲まれることで、自分もレベルアップ出来る環境です。自分自身を変えるきっかけがほしい方、思いきり学んで、とことんチャレンジしたい方には、最高の場所です。

ママも多いですし、私自身も育休中に2人の子どもを育てながら勉強できました、それだけ色んな方にチャンスがあるということです。育児を理由にリスキリングやキャリアチェンジを迷っている人にはとても良い環境だと思いますよ。

―貴重なお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。「東北でPRと言えば名久井さん!」と言われる日も近そうですね。楽しみにしております。

※2023年4月10日取材当時の情報です。

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