地元島根の名物女将として活動。大学からの観光広報アドバイザーの依頼をきっかけにPRを体系的に学ぶために入塾。日本の文化である旅館と女将の名を広めるためにPR活動を本格化。小幡美香さん
島根県の温泉旅館の女将であり、しまね観光PR大使もされている小幡美香さん。金融機関で働いている時にご主人に出会い、25歳の時に旅館に嫁がれました。金融機関を退職後は若女将として旅館業に携わるようになりました。嫁いで7年後に女将となり、のちに、島根の伝統芸能である「安来節どじょうすくい踊り」の名人から声をかけられ「宿のもてなしのひとつになれば」と挑戦し、今では師範に。20年間旅館のブログを継続、SNSで発信を続け、島根県の名物女将として活躍されています。PR塾に入塾後、さらに複数のメディア掲載を獲得している小幡美香さんに、PR塾で学ぶまでの経緯と今後の目標をお聞きしました。
PROFILE
さぎの湯温泉旅館「竹葉」3代目女将/しまね観光PR大使
島根県松江市出身。広島県尾道市立短期大学を卒業後、6年間農林中央金庫松江支店に勤務。結婚し、島根県にあるさぎの湯温泉旅館「竹葉(ちくよう)」に嫁ぐ。島根県の伝統芸能である「安来節どじょうすくい踊り」を踊る「どじょうすくい女将」として活動。しまね観光PR大使、島根大学の観光広報アドバイザー。実家の柿農園の事業継承を行い、現在は観光業と農業の二刀流で活動中。
旅館HP:https://www.chikuyou.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/okamika61/
Instagram:https://www.instagram.com/okamika61/
Blog:https://ameblo.jp/chikuyou/
金融機関OLから、結婚し旅館の女将に転身
-今は旅館の女将さんですが、それまではどんなお仕事をされていたのですか?
短大を卒業してからは、金融機関で働いていました。当時の仕事は、何億何兆というお金を扱う部署にいて、厳しい職場でしたが、やりがいをもって仕事をしていました。
金融機関勤務時代に旅館の一人息子だった主人に出会いました。交際後、私たちが結婚したいと両親に伝えたら猛反対されました。宿泊施設は大変という印象が強かったみたいです。説得をして数年後に結婚、若女将として働くことになりました。
結婚してしばらくは金融機関で働きながら、若女将をしていました。地元の方に可愛がっていただける、身近に感じていただける存在になりたいと思って退職。旅館業に専念することにしました。今は、主人が料理長として関わっており、私も調理師です。そして経営は二人三脚で行なっています。
―旅館に嫁いでからはどうでしたか?
旅館の仕事は楽しいです。結婚して1年後に長女が生まれ、その後長男が生まれました。子どもが生まれてからは、おんぶをしながら接客していました。旅館の繁忙時には実家に預けたり、旅館のスタッフを含めたみんなに子育てを手伝ってもらいながら、仕事をしていました。
どじょうすくい踊りに出会い「どじょうすくい女将」として活動
―若女将として、順風満帆に進んできたのですか?
有名観光地の真横に旅館があるにも関わらず、経営課題が山積みで、宿が認知されておらず、PRもしていく必要がありました。どうにかしなきゃと思いながら一生懸命やっていました。
女将になった後に、「安来節どじょうすくい踊り」に出会いました。旅館は島根県安来市にあるのですが、安来市は伝統芸能を大事にしている地域ということもあり、旅館と伝統芸能を重ねてやっていこうと思いました。
―島根県の観光大使もされているのですね?
旅館の女将として活動していく中で、自分たちの旅館だけじゃなく、地域を大切にしよう、島根を大切にしようという思いになり、活動して参りました。
また、山陰・島根を盛り上げるための広報活動として、JR西日本様の「山陰いいもの探県隊」という取り組みがあり、活動してきました。「安来節どじょうすくい踊り」は旅館の中だけでなく、山陰観光PRとして、羽田空港の出発ロビーや大阪駅、時にはハローキティ新幹線の中でお子さま向けにパフォーマンスをすることもありました。
実は、「安来節どじょうすくい踊り」は男踊りです。当時女性でどじょうすくいを踊る人があまりおらず。どじょうすくい踊りの名人から声をかけて頂き、宿のおもてなしになればいいなと思って始めました。お陰様で始めてから13年経ち、今では師範になりました。
20年間女将ブログを継続。SNSも活用し独自で旅館のPRを
―挫折や、悩んだ経験はありますか?
結婚してすぐは、旅館の経営や人間関係に悩み、初めてのことばかりで、本当にビックリすることもたくさんありました。けれども、「ここで負けてはならぬ…」みたいな気持ちで乗り越えてきました。凹むこともいっぱいありましたが、「為せば成る」の精神と「笑っていけばなんとかなる」の心意気でやってきました。基本的には明るい性格です。
―ブログを20年間されていると聞きました。
旅館に嫁いでから、宿の認知度向上と集客のためにブログを始めました。女将ブログは20年続けています。私はコツコツ継続することが苦手でしたが、今では各種SNSを連動させて大きな発信力・影響力を得ることが出来るようになりました。
ブログを始めた当初は、宿や家族、身近な存在、大切にしている存在を元気にしていくために、一人の力で最小の労力で最大の効果が狙えるものは何だろうと考えました。それが女将ブログでした。
時々、SEO対策として「女将」でGoogle検索するとトップページに情報が並ぶようになりました。「継続は力なり」ですね。
―それだけご自身でSNSを活用されていて、どうしてPRを学ぼうと思われたのですか?
プロの方々が、どのようにPRをされているか知りたかったからです。ずっと自己流でやってきたので、業界の方、㏚広報、プロのPR広報術を学びたいと思いました。
実践的に論理的に学ぶのが好きで、知的好奇心を駆り立てられ、その時に㏚塾の情報を見つけました。
同時期に国立大学法人島根大学様から、観光広報アドバイザーについてのご依頼を承りました。大学の観光広報アドバイザーに就任したことをきっかけとし、なおさら㏚を体系的に学ばなければと思いました。
島根大学の学生に観光を通じ、広く世界の風を感じてもらいたい
―大学ではどういうことを教えておられるのですか?
大学では、観光広報アドバイザーという形で関わっています。島根大学の中には観光学部や観光学科はありませんが、様々な学部の学生さんが副専攻の形で観光について学ぶ機会があります。
例えば法文学部の場合、法の分野からだけではなく、観光業と結びついた時に、どのような形で地域に貢献できるかフィールドワークを含めた実践形式で学ぶ機会もある人気の講座があります。私は「観光地域経営論」で授業をしたり、大学ブランディングにとって大事な広報に関わらせて頂いています。
―PR塾で学ばれてどうでしたか?
すごく良かったです。我流でしてきたPR広報は、どこかで「このやり方で本当にいいの?」と思っていました。
PR塾のみなさんは、本当にたくさんの素晴らしい実績を出しておられます。この方法が王道だと感じましたし、今まで以上にPR広報に自信がつきました。
近年、私の旅館で戦国武将のコンセプトルームを作った際にPR塾で教えてもらったことをそのまま実践しました。旅館から出したプレスリリースはテレビ局、新聞社、トータル10社の取材掲載に繋がりました。
1本のプレスリリースと電話アプローチでメディア掲載を獲得
―今までもプレスリリースを書いて、メディアに送ることはされていたのですか?
これまでもプレスリリースはしていたのですが、PR塾で学んでからは全然違いました。圧倒的にメディアにアプローチできる量が増えました。PR塾で教えていただいた電話でアプローチをする時間帯や具体的な方法を試してみました。リリースを送るだけではなく、メディア担当者様と連絡が取りやすい14時頃に電話をしてみたりしました。
プレスリリースの添削も活用しました。情報を絞り、やり方を工夫し、分かりやすく学ぶことが出来ました。
例えば、沖縄県の宮古島で「安来節どじょうすくい踊り」体験のプレスリリースを送った時も、ご縁が無かったにも関わらず、取材をいただくことが出来ました。
―2年間㏚塾に入ってみて一番何がためになったと感じますか?
専門的な知識があるということで、さらに自信を持って、どなたかのお役に立てるかなと思いました。型を学ぶことに加え、これまで自分が培ってきたSNS運用と合わせることで、さらに自信を持ってPR広報をすることが出来るようになりました。
―コツコツ継続できるコツや、マインドをお聞きしたいです。
習慣というのが一番だと考えます。私の場合は、子どもの存在が大きいです。子どもに伴走する必要があるということが長く続きました。ご支援を頂くような状況で、入院期間も長かったです。
とにかく子どものサポートもしっかりできる状態にしておこうと思っていました。家族の存在が原動力だったと思います。子どもの姿を見て、自分が元気であり続け、支えねばと思ってきました。
コツコツ継続するコツというのは、こだわり過ぎず習慣にすることです。例えば、伝えたいことが無い日があっても、季節の行事イベント等をブログに書いていました。
実は、コロナ禍により世の中が閉じている頃、私は大病をしました。旅館経営も体調も大変な中ではありましたが、出来ることから前向きにやっていこうと思いました。
PR塾に入塾当初は、まずは在宅で体調を整えながら仕事をしており、オンライン中心でした。各種講演会・企業研修セミナーもオンラインで承っておりました。仕事をコツコツ継続させるコツについてですが、一日一日を大事にし、出来ることから取り組むことを大事にしています。
「女将」として、旅館と地域と日本の価値を上げていく
―今後の目標を教えてください。
日本の伝統文化を伝えることが出来るのは女将だと考えます。女将は地域のプロデューサーでもあります。全国の女将さん方と一緒に地域のプロデュースをし、日本の価値を高めていきたいです。
小幡さんのお話を聞いているとすごく元気をいただけました。素敵なお話をありがとうございました。これからもすごく楽しみです。
※2023年12月取材当時の情報です。