受講生インタビュー

挫折の中で辿り着いたPR塾。経営者の参謀として獲得したスキルを生かす―櫻井晃さん

安定した会社員生活を捨てて、20代の頃からさまざまな仕事を経験してきた櫻井晃さん。手掛けるビジネスがなかなか軌道に乗らず苦しい時期を過ごす中、認知拡大の重要性に気付き、PR塾に入塾されました。失敗を繰り返して得た気付きと、入塾によって得られた成果について語っていただきました。

PROFILE

神奈川県横浜市在住。関西学院大学卒業後に日本ペイント・インダストリアルコーティングス株式会社に就職。その後、YouTuber、日雇いのアルバイト、派遣社員、無形商材のプロモーターなどを経て2021年9月にPR塾に入塾。2022年1月に起業して6社のPRを経験した後、現在は主に個人起業家の裏方としてコミュニティ運営や事務のサポートに携わる。

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会社員を3年で辞めあらゆる仕事に手を出す

―さまざまな仕事を経験されていますが、最初は大企業で会計の仕事をしていたそうですね。

新卒で入社した企業の経営管理部に配属されました。新人なので当たり前なのですが、雑務っぽい仕事がメインで、自分でなくてもできそうだと感じてやや物足りなさも感じていました。ただ、想像していた会社員生活とは少し違いましたが、大きな会社でしたし当時はこんなものなのかなと思っていました。

そんな時、大学の同窓会に参加してネットワークビジネスをやっている先輩と知り合いました。公私を問わずすごく充実した生活をされているお話を聞き自分もやってみようと、その人に勧められるがままに本を読み、セミナーに参加し、人に会ったのですがなかなか上手く行きませんでした。しかしながら都合の良い話ばかりに耳を傾けて意識だけは高くなっていたので、3年後に部署異動の話が出たタイミングで会社を辞めてしまいました。

新卒で入社した会社にて

―その後はどうされたのですか。

いろいろな人たちと知り合う中で、当時25万人の登録者がいるYouTubeチャンネルを運営している方から声を掛けられて、コンテンツの企画を考えたり、編集したり、ビデオカメラを持って渋谷の街に繰り出して通行人にインタビューしたりする仕事を1年間ほどやりました。その仕事がなくなったので、食い扶持を稼ぐために日雇いバイトや動画作成の手伝いなどをしましたが、単発の仕事を外注として受けるだけではお金にならず「もっと早く楽して稼ぎたい!」と、中古PCの物販やFX取引などにも手を出しました。

―本当に何でもやっていたのですね。安定した会社員生活を捨てることに不安はなかったのですか。

不安しかなかったです(笑)。実は会社員時代に投資詐欺に引っかかってしまったんです。異業種交流会で知り合った人から「空気清浄機の”オーナー権”を購入するだけでそのレンタル料から毎月配当を受けられる」と持ち掛けられたのですが、投資したお金の大半が戻らず、多額の負債を抱えてしまいました。そのため、給料が入ったその日のうちに支払いのため8割ぐらいのお金が無くなっていました。そんな状況で会社を辞めたので、今にして思えば感覚がマヒしていたというか、先を全く考えていなかったですね。

覚えてもらうために人に会う時は赤いものを身に付けた

―PR塾にはどのような経緯で入ったのですか。

その後、NTTドコモ系列の会社で派遣社員をしながら夜はバーでアルバイトをしていたのですが、隙間時間を使って無形商材を販売する人たちをサポートする仕事も始めました。モニターになってもらった方のために教材や動画やLPを作ったのですが全く売れず、どうしてこんなに売れないのかと悩みました。認知を高めるために広告を打たなければいけないのかなと考えていた時に、フェイスブックでPR塾の広告を見たんです。自分には縁がないと思っていたメディアに働きかけることで、無駄に広告費をかけることなく認知を拡げられるというメッセージを見て「今必要なのはこれだ!!」と感じましたね。

会社員を辞めた後はバーテンダーの見習いも経験した

―実際に入塾した印象はいかがでしたか。

塾生には自社のPRや、PRをこれから仕事にしたいという目的が明確な人たちが多く、収入や肩書などによる垣根が塾生間にほとんどないことが印象的でした。Slackで質問を送ると決められた期日内に回答がしっかり返ってきますし、その内容もテンプレではなく、相談者の状況に合わせた専門性の高いフィードバックがもらえて、非常に親切だなと感じました。

―まずは無形商材のPRから始めたのでしょうか。

実は無形商材のPRは在塾中に立ち消えになって、PRするものがなくなってしまったんです。でもPRの仕事を早く始めたかったので、SNSアカウントをゼロから作り直して自分が今何をしているかを発信したり、塾生の方々のSNSをフォローしたりして、繋がりを広げていきました。そうするうちに声掛けしてくれる方が出て来て、モニター案件が獲れるようになりました。

―モニター案件をPRした成果はいかがでしたか。

入塾後すぐに3社の案件を手掛けることになり、PR塾で教わった通りまずはPR設計してメディアアプローチを中心に進めていきました。メディア露出につながったのは残念ながら1社だけでしたが、ラジオ番組への出演をきっかけにヤフーニュースに転載されました。その後に契約した別のクライアントさんは「BUSINESS INSIDER JAPAN」に掲載されて拡散されました。

―徐々に結果が出るようになっていったわけですね。

掲載が連鎖する、いわゆる「シャンパンタワー」を起こせたわけではないのでそこは反省点ではありますが、いつ何をすれば良いかという感覚は身に付いたと思います。成果を挙げるために短期間で講義動画をすべて繰り返し見て勉強しましたし、テキストに付箋を貼って見たい情報をすぐ見られるようにするなどの工夫もしました。

―櫻井さんの場合はPR塾を始め、いろいろなコミュニティに顔を出していた印象です。

塾生が増えていく中で埋もれないように、とにかく覚えてもらおうと赤い服を着てよく集まりに出かけていました。赤にした理由は、当時参加していたビジネス交流会である人に「赤か金色のものを身に付けると良い」と言われたからです。それで抵抗はあったものの、目立つための作戦としてジャケットやシャツやPCを赤に寄せていったら、身の回りが真っ赤になってしまいました(笑)。

PR塾の仲間たちと。右は代表の笹木郁乃

テイカーよりギバーが圧倒的に多いのがPR塾の特徴

―入塾前と後で大きく変わったことはありますか。

人間はその時に繋がっている人や環境で大きく変わると思っていて、余裕がない人たちの集まりに加わると、自分自身も余裕がなくなってしまいます。PR塾に参加している人たちは入塾費用などの面も含めて一定のハードルを越えてきている方が多いので、心に余裕がある人が多い気がします。

「与える人(ギバー)」「奪う人(テイカー)」という表現がありますが、PR塾の人たちは他者の成功を喜んだり成果をシェアしたりと、圧倒的にギバーが多い。そうした人たちと関わるうちに、考え方や言葉を使い方に影響を受けるようになりました。周りにいる人の層も変わるので、入塾前より視座が高くなった気がします。

―現在もPRプロデューサーとしてだけでなく、さまざまな仕事に関わっていると思いますが、PR塾で学んだことをどう生かしていきますか。

今、事業を整理しているところで核になる部分についてはまだ確立していないのですが、今後は事業者の方々をサポートする仕事を中心にしていこうと考えています。単なる作業の外注先ではなく、クライアント様のお客様が何を求めているかを意識しながらお困りごとに先回りしていきたいと思います。そこでも、PR塾で学んだ企画書や事業説明資料の使い方や、物事の考え方が役立つのではないかと思っています。

―最後にPR塾への入塾を検討している方にメッセージをお願いします。

今、PR塾に興味を持つということには何かしら意味があると思うので、少しでも気になるなら飛び込んでみてほしいですね。今後はこれまで以上に「何を買うか」よりも「誰から買うか」が重要だとよく耳にしますが、PRのスキルを獲得することは良いものを作って世に出す人が、お客さまに選んでもらえる一助になると思います。

身の回りの経営者さんを見ていると、自称コンサルタントの方に年間100万円単位のお金を払って状況が悪化しているケースが少なくありません。自分や周囲をPRできるようになれば、そこまで多額のお金をかけなくても、喜ばれながら信用の貯金を積むことができます。PR塾を通じて提供されるものには支払う金額以上の価値があるので、個人でも組織でも事業をされている方には入塾をお勧めします。

―若くしてさまざまな経験を積まれたからこその説得力あるメッセージですね。本日はありがとうございました。

※2024年7月取材時の情報です。