受講生インタビュー

仏師のご主人と造佛所を運営。コロナ禍を機にPRを学び、多数のメディア掲載獲得。仏師の技術や哲学を次世代に伝えるため、寺社専門PRプロデューサーとして活動中。吉田沙織さん

幼い頃から人が生まれてきて死ぬ意味を考えていたという吉田沙織さん。大学卒業後は看護師として7年勤められました。看護師時代に出会った書籍に感銘を受け、著者に連絡をしたところ秘書として働くことに。その後、仏師のご主人と結婚し、現在は二人で造佛所を営んでおられます。コロナ禍をきっかけに造佛所のメディアPRを行ったところ、多数のメディア掲載を獲得。現在は、造佛所の他に寺社専門PRプロデューサーとして活動。全国の神社仏閣からPRの相談が舞い込むなど、活躍中の吉田さんにこれまでの活動と今後の目標をお聞きしました。

PROFILE

よしだ造佛所 運営

大阪大学卒業後、看護師、作家秘書を経て仏像製作「よしだ造佛所」を仏師のご主人と経営。女将として、仏師の作業補助のほか、企画・運営、カスタマーサポートを担当。神社仏閣でPRが求められていることを知り、寺社専門PRプロデューサーとして活動を開始。社会と神社仏閣のよりよい関係づくりに広報PRで貢献。

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twitter:https://twitter.com/Chibimame55

子どものころからお寺や神社で説法を聞いて育つ

小さい頃はどんな子どもでしたか?

小さいころから、お寺や教会、神社に上がり込んで説法をねだるような子どもでした。高知ということもあり、四国遍路の方を良く見かけていたので、お寺は割と身近に感じていました。通りがかりのお遍路さんに食事やお宿のお世話をしたりする「お接待」という文化も身近にありました。

ー大学卒業後はどこで働かれていたのですか?

大学は大阪の大学に行きました。医学部の保健学科の中の看護を学ぶ学部でした。なぜ人は生まれてきて死ぬのかという事を、高校生の時に考え始めて頭がいっぱいになり、人としての究極の姿を考えていたら、深みにハマってしまいました。

そこで、人が亡くなるところに立ち会わせていただくことで、何かヒントが見つかるんじゃないかと考えました。一番死の近くにある職業は何だろうと考え、看護師を目指すことにしたのです。

大学を卒業してからは、看護師として7年働きました。この間は、とても忙しいのと、楽しいのと同時にこれからどう生きるかということを深く考える時間になりました。

7年間看護師として勤務

ーずっと看護師として働かれてきたのですか?

看護師時代に、生死について考えるために、色々な文献にあたりました。色々なケーススタディや、エッセイなどを読み漁っていた時に、ある作家さんの死生観に関わるエッセーに出会いました。読んだ後、作家さんに「非常に感銘を受けました」と連絡をしたんです。そしたら、海外にお住まいだったんですが、今度東京に行くので事務所にいらっしゃいませんか?と声をかけていただきました。

東京でお会いした時に、東京のオフィスマネージャーをお願いできないかとオファーをいただきました。作家さんの個人事務所のような所で、普段は事務所にいないので、任せる人を探していたそうです。

看護師の仕事をしながら考えていたのが、患者さんが病気になって死が間近になってから、自分に向き合い始めてもなかなか時間がない…ということ。その人の人生で一つの自分を掘り下げるきっかけではあるんですけど、もっと元気な時に、深い関わりができる場所に行きたいなと思っていたので、その事務所に入ることにしたのです。

病気になり自分の健康も大切と気付く

ーどんなお仕事をされていたのですか?

文献手配や編集作業、出版社や書店とのやりとりなど、秘書業務をしていました。また、事務所に訪れる方の対応もしていて、生死に対して凄く関心の高い方や読者の方と深いお話ができる環境だったので、非常にやりがいを感じていました。

ですが忙しすぎて、熱が下がらなくなり、急に起き上がれなくなりました。病院で精査したら甲状腺が活動しすぎている、ということでした。

当時のタイムシートを確認すると、睡眠時間が2時間ぐらい。事務所のボスが、海外の色々な所に行って研究をしていたので、時差で対応時間が夜中になることがありました。夜中の3時、4時ぐらいまで仕事して、次の日また朝6時に起きてという生活をしていたのです。

その時にやっぱり、自分の健康も大事にしないとって気が付いたのです。自分が病気になる前に人と関わりたいって思っていたのに、自分には向けられてなかったという事に初めて気が付きました。

その後は、療養のために会社を辞めて、看護師のアルバイトをしながらリハビリ期間を設け、その後は都内の検診をする会社に就職しました。医療相談や医療機関受診のサポートの仕事だったので、看護師の経験と秘書の経験の両方を活かせる仕事で、非常に楽しく働いていました。

その時期に趣味でしていた弓道がきっかけで、主人に出会い結婚しました。

仏師のご主人と結婚。ホームページを作って作品を宣伝

ー結婚されてからすぐにご主人と一緒に仕事をされたのですか?

主人は職人タイプなので、SNSもやってないし、ホームページも持ってないし、ポートフォリオもない。作品があるので、個展したら?という話をしたら、やってみたいけど、どうしたらいいか分からないということだったので、私がホームページのようなものを作りました。それがきっかけで注文が来たこともありました。

主人は、仏師として個人に来る注文と、会社の勤めと両方をしていました。仏師の仕事は、兼業でする人が多いんです。注文は主人の作品を見た人から、この人にお願いしたいと連絡をいただいたり、口コミがほとんどでした。

彼をもう少し知ってもらわないと、新しいお仕事にも繋がらないと思っていました。もし個展をするなら、絶対インターネットは使わないと、と考えて、秘書の時代に見よう見まねで作っていたホームページの知識を生かして、主人の作品のホームページをつくりました。

ーご主人の秘書業務を行っていたのですね。

産休明けに復帰するつもりだったのですが、娘が産まれた後に私も娘も体調を崩し、復帰の目途がつかなくなってしまいました。その時に主人が独立の準備を進めていたこともあり、自分の体と家族を大切にしていきたいと考えて主人の仕事を手伝う決心をしました。

今思うと、よく決意したと思います。当時は、工房の経営について何も知らなかったんですが、もう7年たちました。

今までは、誰かに仕えてお世話させていただくスタイルが、今はもちろん、主人のマネジメントや子どもの世話もあるんですけど、自分の裁量で色々なチャレンジができることに、凄く面白さと希望、それに社会に直接関われることにやりがいを感じています。

コロナ禍で依頼がなくなり、できることを模索する中でPR塾に出会う

ーコロナ禍は大変だったのでは?

大変でした。お客様であるお寺も、参拝客が激減して、ご依頼がパタッとなくなってしまいました。一番の工房の危機でしたね。

四国の高知の山奥でやっている私たちを、どうしたらお寺の方に知ってもらえるんだろう?直接お寺に行けない時期でもあったので、営業もできなくて。
看護師に戻ることも考えたんです。ただ、山から降りて働いて帰ってくるというのは、凄く時間もかかるし、高知は凄くガソリン代が高いので、ガソリン代を稼ぐために働くみたいな感じになってしまう。これでは、主人のサポートもできないし、選択肢としてはないと思いました。そんな時にFacebookでPR塾の広告を見たのです。

「このままではやっていけない」と追い詰められていたこと、「造仏の技術や精神性も途絶えてしまうのではないか」という危機感もあり、必要としている人に知ってもらいたいけど、どうすれば良いのだろうと考えていた時でした。

具体的な行動に結び付かず悩んでいた時に、PR塾の無料動画を見て、“広告”と“PR”の違いを知りこれだ! と思いました。

メディアPRをスタートし、50件のメディア掲載獲得

ー入塾されてどうでしたか?

本当に楽しかったです。自分が求めていたスキルを学べる場所だなと思いました。勉強を始めて1年で50件くらいはメディアに掲載していただきました。

取材を受ける仏師のご主人

ーどうして、そこまで結果を出せたのでしょうか?

珍しいというのはあると思います。メディアも、お寺や仏師っていう職人からリリースがもらえるなんてと。もちろん、お寺で独自に頑張っている方もいらっしゃるんですけど、㏚塾で学んだような、積極的で丁寧な専門的なアプローチまでは難しいと思います。

PR塾では、プレスリリースの添削で専門的な用語を一般的な言葉に変えるという翻訳みたいな部分も、かなり細かく教えていただいたので助かりました。最初は漢字が多い!専門用語が多い!と講師の方を困らせてしまったみたいです。

ーメディアに出て、反応や反響はありましたか?

凄くありました。主人の場合は注文が増えました。一回注文があると、一年単位の仕事になります。あとは、ホームページやSNS、お寺の方にも問い合わせがありました。プレスリリースを出して反応がある前に、㏚設計で言語化したものをホームページに掲載したり、SNSの発信を変えただけでも結構変化がありましたね。

PRを依頼したいと全国から依頼

ー寺社専門㏚プロデューサーとして、お寺のPRもされているのですね。

本堂が新しくなりましたとか、新しく住職になりますとか、今度こういう彫刻をするので、ノミ入れを企画にして取材に来てもらうとか、㏚に特化したサービスもさせていただくようになりました。
お坊さんたちも凄く頑張っておられて、色々な取り組みをされていますが、こういうPRの専門知識があることで、外からどう見られているか、客観的な視点を持つことで、言葉の難しさとか、社会とのギャップを埋めることにも繋がっていくと思います。

地元の何度かお付き合いのあるメディアの方々は、信頼してくださっている感じで、日程と見出しを伝えるだけで、記事にしてくれることもあります。

主人も私の活動をすごく応援してくれています。最近は、高知だけじゃなくて四国がやっぱり多いですが、北海道からも依頼があります。

高知・薫的神社で行われた麒麟像のノミ入れ式の様子
工房で行われた子供向けの見学会の様子が取材された

仏師の技術・哲学を次世代に伝えるためにチーム化を検討

ー今後の目標は?

注文をいただくようになって、お寺の方にも、㏚のことを少しずつ知っていただく機会もできました。今、修理を担当させていただいているお寺では、何度か企画を立ち上げて、たくさん取材をしていただいた事で、お寺のまわりの集落にたくさん人が来てくださるようになったそうです。

地方寺院が厳しい状況で、知っていただくために㏚をするという選択肢が、まわりのお寺にも広まってきました。
今後は、お寺を中心に地方を元気にしていきたいこと、仏師の技術や哲学を、次世代に伝えていきたいなという思いで、チーム化も頑張っていきたいなと思っています。

吉田沙織さん

PRが企業だけでなく、神社仏閣にも活用できるとは驚きでした。貴重なお話をありがとうございました。

  ※2023年12月取材当時の情報です。

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