受講生インタビュー

入塾2カ月でNHKなどメディア取材20社以上獲得!長期契約獲得が安定収入の柱にー清水井友希さん

初めて書いたプレスリリースでTV取材を獲得。その後もNHKをはじめメディア取材の連鎖が20件以上続き、この夏は取材対応に大忙しだった清水井友希さん。プライベートでは「起立性調節障害」の症状に苦しむ息子さんをサポートするために引っ越したばかり。環境の変化に自分の「軸」を見失いかけていた中で出会ったのがPR塾だったそうです。そこで手にした一番の成果は「取材獲得」よりも得難い「心の元気」と語る清水井さんに、入塾からこれまでの軌跡を伺いました。


■PROFILE

「言葉にならない想い」をお花・コピー・PRで形にするPRプランナー。

酒類メーカー・企画会社の商品開発を経て、コピーライター歴20年以上。
モスバーガーの企業広告をはじめ、都内大手クリニックの採用サイト、スタディサプリ、GREE、Uber等のライティングを手がける。2008年からフラワーアレンジメントブランドtokohana主宰。
コピーライター・フラワーデザイナーとしての経験や感性をベースに、かねてよりクライアントからのニーズを感じていたPRプランナーとして活動開始。広告と広報をワンストップでサポート。

URL
HP:http://www.tokohana.com
Facebook:https://www.facebook.com/tokohana.jpn
Instagram:https://www.instagram.com/yuki.shimizui.pr.copy

デスクに座る清水井友希さん
(「広告・お花・PRはいずれも“想い”をお届けする仕事だと思っています」と話す清水井さん)

「クリエイター思考」に気付き、コピーライターの道へ

ーこれまでの経歴を拝見すると、“感性の人”という表現がぴったりですね。

 元々、サントリーで商品開発をしていたのですが、社内にいたデザイナーやコピーライターの仕事を近くで見ているうちに、自分にも想いを形にして表現する“クリエイター思考”があるんじゃないかと感じ始めたんです。こういう仕事も良いなって。それで広告制作会社に転職して、コピーライターを中心に、ブランディング、広報などの仕事にも携わりました。
そして、30歳になる直前に独立し、フリーランスとしてのコピーライター、文化的な著名人の方の広報・企画活動のサポートをしてきました。

ーフラワーデザイナーとしてもご活躍されていますよね?

 はい。独立した頃にちょうどお花を習っていて、当初はフラワーアレンジメントの広報をしていたのですが、そのうち自分でアレンジメントを手がけたり、講師としてレッスンをするようになっていました笑。その後、妊娠がわかり、出産。子どもが小さかった頃は子連れでできるチベット体操のインストラクターをやったりもしてました。色んなことをしましたが、どれもしっかりできてないストレスで、いったい自分は何モノなの?と悩む時期もあったんですが、ライフステージが変わるたび、柔軟に働いてきました。コピーライターの仕事もふり返ると20年以上となり、今は自信をもってやれています。

3つの「したい!」がここなら叶うと感じた

ーそんな中でなぜPR塾に?

 じつは夫もメディアの人で、そのつながりで記者の知り合いが周りにたくさんいる環境でした。
昨年、子どもの通う小学校でPTA会長を務めていて、スポーツドクターの先生とトップアスリートを招いて子どもたちに『特別授業』をしてもらおうとイベントを企画したんです。メディアにも取り上げてもらいたくて、記者の知り合いの方々にアドバイスをもらいながら見よう見まねでプレスリリースを書きました。記者クラブへの投げ込みにも挑戦したものの、イベント自体がコロナ禍でオンライン開催となったこともあり、結局取材にはつながらず、とても悔しい思いをしました。
 企画したイベントは好評で、すぐに2年目以降の開催も決まりました。その瞬間、「来年こそはリアルで開催して取材につなげたい、リベンジしたい!」と具体的にPRしたい題材ができたことからPRをしっかり学びたいと思いました。

 また、コピーライターとして、法人案件以外に個人事業主のサポートもしていました。個人事業主の大半は広告を出す余裕がなく、WEBやチラシなどの自社ツールを整えた先の、告知や広報活動に対するニーズを切実に感じ、「PRのスキルを身に付けて、全方位でクライアントをサポート出来る人材に成長したい!」という気持ちが芽生えていました。

 あとは収入の面ですね。広告制作の案件は単発のご依頼がほとんどで、一年を通じて売り上げにバラつきがあったんです。「家族や私自身の夢を叶えるために、安定的な収入の流れを作りたい!」という想いもあり、PR塾のカウンセリングに申し込みました。その中で、コピーライターとしての“書く”や“考える”スキルを活かせる形での今後の仕事のイメージが具体的に描けたので入塾を決めました。会社員時代の同期が先にPR塾に入って活躍されていたので連絡をとり、紹介制度を活用させてもらいました。

PTA主催『ごきげん授業』にてスポーツドクター辻秀一先生やPTAのお仲間と写る清水井友希さん
(PTA主催『ごきげん授業』にてスポーツドクター辻秀一先生やPTAのお仲間と)

一本目のプレスリリースからTV取材を獲得!
講義内容とテキストが「壁」突破を後押ししてくれた

ー入塾した翌月からすぐに取材獲得、大きな成果を出されていますね!

 6月に入塾し、すぐに、リベンジを誓っていた「小学校でのアスリートによる特別授業」のプレスリリースを作成したところ、テレビ埼玉の取材を獲得できました!
2本目に作成した「自転車を漕ぎ人力発電でつくるかき氷店」のリリースは、NHKから取材を受けた後、民放キー局やローカルテレビ、新聞、通信社など20社から取材を獲得しました。

 そして、その成果を私のSNSでご覧頂いた企業の社長さんから、新しくPR業務の依頼を受けました。また、もう一社、ライティング業務を承るお話をしていた企業からは、広報領域のライティングも含めて依頼したいと打診されています。
PR塾に在籍して3か月目ですが、広告制作に加えてPR業務へと仕事の幅を広げたいと希望していたことがもう叶えられる結果となっていて驚いています。

ー短期間で成果を出すためにPR塾での学びをどのように進めていかれましたか?

 入塾と同時にPR業務をスタートさせたので、リリース1本目の「特別授業」と2本目の「自転車を漕ぎ人力発電で作るかき氷店」は、イベントの日時がどちらも目前に迫っていました。見なければならないと思われる講義動画やテキストを食い入るように読んだり、視聴した後、タイミングを逃さないように即実践しました。午前中にテキストを読んで、午後に実践、という感じでしたね。それで、なんとかイベント前のリリース配布に間に合わせました。
 その後は、記者クラブに行く時間を捻出し、テキストで学んだとおりに「記者レクをさせてほしい」と事務の方にお伝えしたことで結果に繋がりました。一言、お伝えしてみると、たまたま読売新聞の記者さんがいらした部屋に通してくださり、名刺交換してコミュニケーションを取らせていただくことで後の掲載につながったり、その月の幹事社だったNHKの方と名刺交換の際に1分ほど立ち話をして、その場で取材を決めてくださったり…とPR塾の講義内容そのものが、壁を「突破」するための後押しとなり、成果につながりました。

ーこの夏は取材ラッシュでメディアの方への対応も大変だったことと思います。

 かき氷店の店主は、じつは互いの子どもが1歳だった頃からの“ママ友”で「お手伝いしてもらえないですか?」とご相談を受けたのがきっかけでした。リリースを出してから、私の携帯電話にこんなにたくさんの着信が入るのは初めてで、ほんとうにばたばたと過ぎていった夏でしたね。
彼女のことを良く知っていたしずーっと応援していたので、学びたてのPRの知識を活かすことができて、まさに二人三脚で乗り切った感じがしています。

 先日、私のPR業務についての感想を改めて伺う機会がありました。彼女からは「1本のリリースから1社につながり、そこから大きく世界が広がった。これまで個人で小さくやっていたけれど、取材を受けたことで活動の価値が高まり、より多くの方に届けたいと思うようになった。有意義な時間と結果をありがとう。」という言葉をもらって嬉しかったですね。

人力発電かきごおり・いも子のやきいもスタッフと写る清水井友希さん
(人力発電かきごおり・いも子のやきいもスタッフと)

どん底にいた心を元気にしてくれたのはPR塾生の“ママ”たちの存在

ー取材対応に大忙しだった2022年の夏。どんな成果を手にしたと感じていますか?

 じつは今年の春、心がものすごく弱っていました。子どもが「起立性調節障害」で学校へ行けなくなってしまったんです。それで、環境を変えて応援しようと、土地勘のない地域に引越したのですが、悩みが尽きない日々でした。子育てって色んなことが起こりますね。子どもと一緒にその苦しみの中に没入しては良くないと思いつつもこの半年、どん底でした。
そんな中で受講を始めたPR塾には、子育て中のお母さんたちが多くて、その中で自分も自宅で子どもを見ながら、良い刺激を受けて学ぶことができました。取材獲得も成果ですが、OJT式を実践していく中で、気がついたら心が元気になっていたっていうのが一番の成果だと思っています。

 今は子どもが新たに所属するサッカーチームからPRを頼まれていて、人との交流にもPRが役立っています。

ーPRのスキルを身につけていくことで、ご自身の仕事と、お子さんに寄り添うことのちょうど良いバランスができつつあるようですね。

 引越してきた地域でも、すでにPRの力を必要とされている方との出会いがあったりして、自分がPRのスキルを身に付けているおかげで、新しい場所でもしっかり自分の軸をもって生きていけそうだと感じています。20年来続けているコピーライターもフラワーアレンジメントもこれからも大切にしていくことに変わりはないけれど、さらにそこにブリッジをかけられる、“PR”という、もう一つのアイテムが加わりました。

ー“社会が必要とする切り口を一緒に見つけていくPR”、この言葉、清水井さんのSNSで見つけました。素敵な表現ですね。

 今の時代は、広告が溢れているので、自分に向けた「私」へのメッセージだけをキャッチする傾向がありますよね。それに対して、客観的にみた価値や、今の社会問題をどう解決するのかというのがPRの視点で、両方合わせて価値が伝わる気がします。価値を俯瞰して、鳥の目のように見ていくのがPRかなと思っています。
 あと2年で50歳になりますが、この歳になると、自分がどうやって社会の役に立つかっていうことをすごく考えるようになってきて、「誰かを助けたい」「応援したい」という気持ちが強いので、そういう形で社会と関わっていきたいと思っています。

ー収入の面ではどんな変化がありましたか?

定期的な収入の柱が一本増えたという感じです。コピーライターの仕事ではできなかった、数カ月単位の長期契約が取れるようにもなり、有難いです。

清水井友希さんが手がけた1枚のプレスリリースから獲得した、18件の取材実績
(1枚のプレスリリースから18件の取材を獲得)

ーこれからの目標や夢を教えて下さい。

 息子の夢である「ヨーロッパへのサッカー留学」をサポートしたいです。夢物語で終わらせずに、PRのスキルや、ここまで蓄えてきた自分の武器によって叶えてあげられたらすごいことだなと思っています。私自身も、フラワーアレンジメントを本場のヨーロッパでブラッシュアップしたいとずっと思っています。PRの経験を積んでどこにいても信頼してお仕事を任せていただけるようになったら、一度、海外で生活したいですね。
 PRプランナー、コピーライター、フラワーデザイナーはそれぞれ分野が異なりますが、私の中では同時進行でやるからこそ、表現力といった感性の分野や、企画・構成するロジカルな側面が刺激されて、それぞれのアウトプットが以前より良いものになるような気がしています。

ー最後に、PR塾への入塾を迷っている方へメッセージをいただけますか?

 自分に必要な情報は、何をしていても、どんな人でもきちんとキャッチできるものだと思うんです。今、このLITAマガジンにアクセスしている時点で、「何か自分にとって必要な情報なんじゃないか?」って考えてみるといいと思います。
「LITA=利他」の意味にある「人を活かす」とか「人のために動く」ってすごく尊いですよね。PRは、それが仕事になり、キャリアになる。人のために生きて、自分も豊かになりたい方にはおすすめしたいです。

ーありがとうございました。清水井さんのこれからのご活躍を楽しみにしております!

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