受講生インタビュー

PR塾で学んだ出版方法を実践し、障がいのある息子さんと過ごす日々での気づきを書籍化。もっとたくさんの方に知ってもらうために認知活動を広げていく。田中伸一 さん

田中伸一さんの息子さんはダウン症に生まれ、生後2か月で気道がふさがり呼吸困難になり、声も失ってしまいます。何度も手術を繰り返す息子さんの病院や施設の関係で転勤のない会社へ転職。その後、独立したもののリーマンショックの影響で経営が悪化。そんな中、息子さんと過ごす日々で気づいたのが「幸せを感じる力」でした。2023年には息子さんと過ごした26年間を本にした『お父さん、気づいたね!声を失くしたダウン症の息子から教わったこと』を出版。息子さんと暮らす中で気づいた「幸せ」や「生きる意味」を一人でも多くの方に届けるために講演活動もされています。

PROFILE

アクシスエボリューション代表。プロコーチ、心理カウンセラー、人材育成コンサルタント

大分大学卒業後、福岡銀行に勤務。障がいのある息子の病院・施設の関係で転勤のない会社に転職。その後、プロコーチの資格を取得し2008年に独立。幅広い依頼を受け、研修受講者は1万人を超える。息子と生きる中で、人生で大切なことを学び、仕事も生き方も大きく変わる。この経験を多くの人に伝えるため、2019年より講演活動やブログを始める。

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2023年に出版した『お父さん、気づいたね! 声を失くしたダウン症の息子から教わったこと』表紙は息子さんの作品

ダウン症の息子さんが病気で気道が塞がり、声も失ってしまう。その息子さんを尊敬するように

どのようなお仕事をされてきたのですか?

大学を卒業して銀行員をしていました。仕事も楽しく、それなりに活躍させていただきました。ですが、息子がダウン症で生まれ、気管の病気で入退院を繰り返していたこともあり、病院や施設の関係で転勤のない会社に転職したんです。ただ、安定した銀行を辞めてまで転職することは考えにくくて半年くらい悩みました。

-息子さんが手術を繰り返されている時期はどういう思いでしたか?

息子が生後2か月で肺炎になり、気道がふさがり、気道確保のため、口から気管の奥まで管を挿管し、声帯もふさがれ声も出せなくなりました。その後、気管切開の手術をし、お医者様には「すぐに治りますよ」と言われたんですが、2か月、3か月経っても、2年、3年経っても気道はふさがったままで病状は変わりません。でも「治ります」と言われるので希望は持っていたんです。ただ、その状況が長引くにつれて、心の中でもう治らないんじゃないかというあきらめの気持ちも芽生えてました。7歳のときに大きな手術をし、一旦は成功したんですが、結局気道はふさがり、この7年間はそれを受け容れるまでの心の準備期間だったのかなと思いました。

息子は何回も窒息して死にそうな体験をしたり、苦しい手術があったり、かわいそうだと思っていたんです。それが、こんなに苦しい中を生き抜いているのは「凄い」って、だんだん尊敬するようになっていきました。

生後6か月の息子さんと

独立して3か月後リーマンショックでお客様がいなくなる

ー転職後は仕事は順調だったのですか?

転職先でたまたまコーチングを学んだことがきっかけで2008年に独立しました。会社員時代は仕事も順調だったので、独立しても上手くいくだろうと思っていたんです。

その3か月後にリーマンショックが起こります。契約していた法人のお客様から「景気が悪くなって人材育成にお金をかける余裕がなくなった」ということが続き、お客様がいなくなったんです。それまでは「仕事をして成果を上げていた」という自信があったんですが、その自信も崩壊し、経済的にも厳しくなり、めちゃくちゃ落ち込みました。

妻は息子の介護があるので働くことはできないし、住宅ローンもあったし、どうしていったらいいんだろうと不安しかなかったです。

やる気もなく、もうダメだと思ったときに1冊の本に出会い、生き方が変わり始める

ーどうやって乗り越えられたのですか?

もう終わりだというくらいやる気がなくなってしまったんです。でも生活はしないといけない。独立する前に住宅ローンの繰り上げ返済をしていたこともあり、手持ちのお金がなくて、貯金も底をついてしまいました。でもお金は必要。仕事は上手くいかない。アルバイトをした方がいいのかなと考えたけど、それでは生活できない。頑張らなきゃという気持ちもなくなってしまいました。

やる気がないので、やることがなく、たまたま野口嘉則さんの『3つの真実』という本を読んだんです。その物語の主人公は、年齢・性別・仕事も私と同じで、挫折がきっかけで、幸せな生き方に気づいていくという話でした。私とぴったり重なり、自分のことが書いてあるように思えて、私も落ち込んだことをきっかけに、この主人公のように幸せな生き方ができるようになるんだって嬉しくなったんです。

落ち込んでいなかったら、そこまでこの本は響かなかったかもしれないし、生き方が変わるようなこともなかったと思います。本には、感謝することや色んなことが書いてあって、それがどんどん自分の中に入ってきました。すると、仕事を頑張ろうというよりも、まず自分の考え方や生き方を見直そうと思って、自分なりに色々と取り組み始めたんです。

毎朝、生きていることに感謝したり、ご先祖さまに感謝したり、鏡の中の笑顔の自分に向かって「これができる」「これがある」「こういうことが幸せだな」と思っていくと、だんだん幸せな気持ちが増していきました。そうすると自然と「こういうことやりたいな」「こういう風にしていこう」という気持ちが芽生えてきて、だんだん仕事も上手くいき始めました。

毎日の幸せに気がつき感謝をすることで、仕事もうまくいくように

ーその本を読んでから、物事の捉え方とか人生がどんな風に変わったのですか?

毎日幸せだということに気づけるようになりました。以前は「これができたら幸せ」「仕事が上手くいったら幸せ」だったのが、「生きている」「呼吸している」「寝るところがある」「ご飯が食べられる」「冬でも暖かい家がある」と、基本的にすべてがありがたいと思うようになり、心の中が満たされていきました。

ーそこから仕事はどんな風に変わりましたか?

それまでは人材育成コンサルタントの仕事がメインでしたが、自分の体験や想いを伝えたいという気持ちになったんです。そこで、独立して初めて公開セミナーを開催しました。コーチングと自分の体験をミックスしたようなセミナーです。会場を借りるのにお金がなかったんですが、運よく知り合いの紹介で無料で会場を借りることができ、集客も頑張って、30人の席に32、33人くらいの方が来てくれました。その中で「うちの会社でも研修して欲しい」と数社から声をかけていただき、そこから仕事が広がっていきました。独立した翌年2009年です。

セミナーの様子

誰かにとって生きる希望になる本を書きたい」出版のために活動を始める

ー息子さんのことを本に書いたきっかけはあったのですか?

『3つの真実』を読んで、凄く感銘を受けて、そのときにこういう本を書きたいという思いがあったんです。人が変わるきっかけというか、幸せに生きるための希望になれるような本を書きたいと思って。私にとっては息子との体験は大きなことだったし、それをきっかけに私も色々と変化があったので、そういう本を書きたいと思い始めました。

文章は得意じゃなかったので、文章講座とか本を書くために色々学びました。ただ、仕事も忙しくなってきて、出版にエネルギーを注ぐ余裕がなくなり、その後、2011年の東日本大震災をきっかけに環境問題や自分の内面を磨いていくことに意識が向いていきました。それらのことが定着してきて、2017年頃にそろそろ本を出版したいと思うようになりました。2011年から数年間で息子との気づきがどんどん増えてきたこともあります。

出版をするならPRを学んだ方がいいと考えて入塾を決めた

ーPR塾に入られたきっかけは何だったのでしょうか?

2018年から出版のことを本格的に学ぶために出版ゼミに行き始めました。そこでゲストで講演されたのがPR塾の笹木郁乃さんでした。本は出版すれば売れるものと思っていたのですが、そうではないし、無名の人のノンフィクションの分野は売れにくいということもわかり始めたときでした。ゲスト講演を聞いて「そういう方法があるのか!」と目から鱗で、私の場合は特にPRを学んだほうがいいと思い、PR塾に入りました。

ー入塾されてから、スピード感と継続力がすごいと思いました。それだけ行動に移せた理由は何ですか?

今、幸せを感じられているのは息子の存在が大きいんです。息子のことをすごく尊敬しているし、自慢したい気持ちもいっぱいあります。でも、「かわいそうですね」「大変ですね」って言われることがあったんです。大変な面もありましたが、それよりも「こんなにたくさんの気づきがあって、こんなに幸せなんです」ということを伝えたい気持ちがすごく強いんです。

息子から学んだことを伝えたい、それが仕事になって、色々なところから講演で呼んでもらえたらいいなと思っていました。でも、知らない人を呼んでもらえることはないので、本を出して、色んな方からお声かけいただいて、全国で講演しようと思って、どんどん発信していきました。あと私は割と素直なタイプなので、学んだことをそのまま実践した感じです。

PR塾の学びを生かし、出版企画書を68社に送付

ー出版はどういう形で実現したのですか?

出版ゼミで編集者さんへ本の企画をプレゼンする場があって、3年連続プレゼンをしたんです。毎回興味を持ってくださる方はいるのですが、最終的には出版には至りませんでした。

そこで、PR塾方式で出版社に企画書を郵送しようと思ったんです。PR塾では20社くらいに送るといいと言われていますが、最終的に68社に送りました。

もともと本を読むのが好きだったので、これまで読んできた本の中でいいなと思う本がたくさんあったんです。この本を書いた出版社、編集者さんだったら、ひょっとしたら興味を持ってくれるかなという出版社さんが私の中にたくさんあり、その中の1社からお声掛けいただき出版が決まりました。

ー出版が決まった理由は何だったのでしょうか?

あとから出版社さんに聞いたら、メディア掲載の実績が大きかったと言われました。講演活動や息子の書道・絵画の個展が新聞やテレビで何度も紹介されていて、「これだけ取り上げられるのだったら、本になったあともきっと広がっていくだろう」とおっしゃっていました。

佐賀県での講演の様子を紹介した新聞記事(佐賀新聞)

 

 

 

書籍出版記念の作品展を紹介したテレビ放送(FBS)
講演することが紹介された新聞記事(朝日新聞)
作品展が紹介された記事(Yahoo!ニュース)

出版して、もっとたくさんの方に読んでもらいたい気持ちが強くなる

本という形になってどうでしたか?

嬉しかったのはもちろんですが、結構大変でしたね。完成するまでは本当に大変で、何度も徹夜して、最後の1か月は、編集者さんと話さない日はなくて、メールも1日に何回もやり取りをして、電話もして、Zoomも何日かおきにしていました。本ができたときには、毎日の打合せがなくなって、違う日常が始まったような気がしました。

ー出版してから変わったこと、広がっている実感はありますか?

読んでくださっている方はたくさんいらっしゃるんですが、私の中では、もっと広げたいという思いが強いんです。PR塾で学んだことを全部はやれていないので。出版できたことは本当に嬉しいですね。今もそうですが、特に最初の一か月は、ほとんど毎日読まれた方から感想をいただいて、嬉しいな、よかったな~って思いました。これからもたくさんの方に読んでいただきたいです。

メディア掲載がきっかけでアメーバブログのオフィシャルブロガー

ーアメーバブログのオフィシャルブロガーになったきっかけは何だったのですか?

本を出版して朝日新聞と朝日デジタルの記事になり、Yahoo!ニュースにも転載されて、それをサイバーエージェントの方が見て連絡をくださいました。ホームページのお問い合わせから「アメーバブログのオフィシャルブロガーをお願いします」という連絡をいただいたときは信じられなかったです。2023年9月からスタートして1日に万単位のアクセスがあり驚きました。アメーバ―ブログの方で露出しやすいようにトピックスにあげていただき、多いときはアクセス数が3万を超えることもあります。これまでのブログは多くても1日のアクセス数は1000件くらいでした。これもPR塾で学んだお陰です。

息子との体験から得た気づきを伝えているときが幸せ。仕事の柱にしていきたい

ー今後の夢や目標を教えてください。

まず、自分が幸せであることが一番最初に必要なことだと思っています。私の場合は息子が幸せで、そのオーラをもらって私も幸せを感じていますが、自分が幸せを日々感じるような人であることが大切で、そうすると自然とまわりも幸せになっていくんです。
私は、幅広く仕事をしている中でも息子からの学びと気づきを発信しているときが一番幸せで、その割合が増えたらいいなと思っています。もっと広めたいし、もっと講演できたらいいですね。そのためには、やはり認知活動が必要で、これからさらにPR塾での学びを実践していこうと思っています。

2022年 家族旅行にて

ー出版を諦めてしまいそうなところを決して諦めずに挑戦し、実現した経緯をお聞きして、とても勇気をいただきました。貴重なお話をありがとうございました。

※2023年10月取材当時の情報です。

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