受講生インタビュー

ブランディング・PR・マーケティングスキルを生かし金沢で欠かせない存在へ―手島シークリンデさん

PR塾受講生の手島シークリンデさんは、アパレル業界で広報PRの仕事に長年従事してきました。2015年に東京都から故郷の石川県へUターンし、それまでの経験や人脈を生かして、飲食店経営やPR業、ブランディング業を担う株式会社を立ち上げておられます。今では地元テレビ番組のコメンテーターを務めるほど、地元・石川県にとっても欠かせない存在となっている手島さんに、「まさか戻ることになるとは思っていなかった」故郷でが特別な存在になるまでのストーリーと、地方でPRを行うことのメリットについて話を聞きました。

Profile

ミス東京グランプリ受賞。アパレル業界でブランド立ち上げ、広報・マーケティング等を経験後、ディーゼルジャパン株式会社で約 8 年間 PR&PRESS を勤める。結婚・出産を経て2015 年 に石川県へ移住。翌 年 『OFFICE SCHNEIDER』創業。2018 年 『株式会社オフィスシュナイダー』創業。PR、ブランディングに携わり、飲食店も経営。プライベートでは男児 3 人のママ。セミナーや講演会に多数登壇。2018 年石川県で地域活性化賞受賞。TV、雑誌等出演多数。北陸朝日放送「ゆうどき」レギュラー出演中。

・会社HPhttps://officeschneider.com/ 

・個人インスタグラムhttps://www.instagram.com/sieglindetejima/?hl=ja

・個人YouTubehttps://bit.ly/3kl8XkQ

雑誌「VERY」に掲載 手島シークリンデさん
雑誌「VERY」に6ページに渡り掲載

憧れだったアパレルのプレスを辞めて石川県金沢市へUターンして起業

手島さんは、もともとPR塾に入る前はどのような経歴を歩まれてきたのでしょうか?

ファッションが大好きだったので、大学卒業後は、外資系のハイブランドの銀座路面店で販売員を経験しました。当時、上司のアドバイスをすぐに実践するように心がけていたところ、販売員として全国で売上トップになったんです。

ただ、その当時目に入った“プレス(広報担当)”の仕事がとてもやりがいのある仕事に見えて、「絶対やってみたい!」と思いました。例えば、戦略を考えて広告を出したり、雑誌の編集者さんとページをつくったり、展示会を開催したりと、とても華やかで面白そうだなと感じたんです。その後、国内のアパレルメーカーに転職して、念願のプレスになることができました。ブランドの立ち上げなども広報として複数経験して、2015年まで外資系のディーゼル・ジャパン株式会社でプレスを担当していました。

その頃は東京で働かれていたんですよね。それから石川県に戻ろうと思ったきっかけはありますか?

2011年の震災後に、地方への移住ブームがありました。その時私は決断できなかったのですが、ずっと東京で生活していくことにはもやもやした気持ちを抱いていました。決め手となったのは、二人目の子どもが生まれたことです。生活環境を見直すきっかけになりましたね。東京は便利ですが、子どもたちの成長を考えた時には、地方の方がのびのびと育てられるし、少々の不便さを味わうことで、子どもたちの人間力がつくと思いました。また、母が体調を崩したこともきっかけになり、最後は私が看取りたいという思いから、移住を決意しました。

ー元々いつか地元に帰ろうとは思われていたのですか?

ドイツ人の父を持つ私は、自分がハーフという立場で、もちろん良いこともたくさんあるのですが、子どもの頃は外見が目立っていたこともあってか、じろじろ見られたり、コソコソ話をされたり、地元ではとても生きにくいと感じていました。「とにかく早く東京に出たい」と思い、実際に東京に出たことで、自分の殻が破れたんです。だから、当時はまさか自分が地元に帰る日が来るとは思っていなかったですね。

審査員を務めた「ふるさとCM大賞」授賞式の様子
「ふるさとCM大賞」の審査員に選出された

移住については、ご家族も賛成だったんですか?

夫は外資系の企業に勤めていたので、当初は私と子どもたちだけで金沢に住み、夫は毎週末金沢に通っていました。そのうち3人目を妊娠し、1人で仕事をしながら3人を育てるのは難しいと感じた頃、夫も金沢の生活を気に入り、移住してきました。

手島さんは、移住を機に起業されたのですか?

地元に戻って会社員になることは考えていなかったので、東京での経験を生かして、PRとブランディングで地方創生に関わりたいと思い、起業しました。事業としては、地元企業のブランディングとPR、飲食店経営、そして撮影コーディネートや金沢への出店サポートもおこなっています。元々プレスの仕事をする中で、スタイリストやメディア関係者、著名人の人脈に恵まれていたので、それまでのキャリアを生かすことができると思いました。

講演「地方に必要なPRのはなし」に登壇する手島シークリンデさん
法人会にて経営者向けに講演

当初は理解されなかったPRやブランディング キャリアを生かし地元で信頼される存在に

ー具体的に、どのように生かしておられるのでしょうか?

2015年に東京・金沢間の新幹線が開通したことを受けて、メディアで金沢が取り上げられることが増えたんです。アパレル時代のメディアの知り合いの方から金沢の流行りのお店などを聞かれることが増えて、雑誌等で”金沢特集”があると、取材のコーディネートも頼まれるようになりました。乃木坂46の卒業メンバーの写真集が石川県で撮影されたのですが、私がトータルコーディネートを担当しました。

また、知り合いの紹介でタレントさんが出店するパンケーキ店の立ち上げを手伝いました。その時は開業の手続きや、材料の仕入れ業者の手配、人材の確保と育成、PRまで全て請け負いました。PRについては、金沢では有名人の出店は珍しかったので、メディア取材のラッシュでした。その時PRで獲得した記事枠を広告として換算すると、なんと3億円もの規模になったんです。

それをきっかけに、手島さんも地元で頼られる存在になったんですね。順調な道のりに見えますが、苦労はありましたか?

起業してすぐの頃は、非常に苦労しましたね。移住当初は、Uターンとは言っても地元に人脈もなく、「ブランディングとPRで起業したい」と市役所で相談しても、「あなたがしようとしていることが分からない」と言われていたんです。広告代理店を通して記事枠を購入するのが、金沢では当たり前なので、メディアアプローチで電話をかけても電話口で戸惑われるばかりでした。なんとか実際にお会いすることで、ようやく理解いただけるような状況でした。

手島シークリンデさん
移住特使として移住促進のための動画などにも出演

諦めそうになることはありませんでしたか?

PRやブランディングの仕事について全然理解してもらえず、とても悔しかったですね。でも、逆に「絶対に仕事のオファーがくる存在になろう!」と気合いが入りました。そして、次第に周囲の理解が得られて、どんどんオファーがき始めたんです。

例えば、県庁や市役所からは講演を頼まれ、移住促進のためのイメージ動画の出演依頼も頂きました。私自身も移住者として石川県の移住応援特使に任命されています。また、地元の法人会やロータリークラブでも講演を依頼されるようになり、経営者の方々とつながりができました。さらに、地元のテレビ番組にコメンテーターとして出演したり、地元のモデル事務所からもオファーがあるなど、以前は想像できなかったことが起きていますね。

PRお仕事で取材を受ける様子
PRのお仕事の様子

ブラッシュアップのためにPR塾へ入塾 PRに携わりPRで地元メディア全制覇

PR塾に入塾されたのは、どのような理由からですか?

地元の経営者の方々と知り合い、中小企業のPRを依頼された時に、私がアパレル会社で行っていたPRの方法と全く同じようにはできないと感じました。私がプレスをしていた時のノウハウは古くなっているし、PRの最新情報を知り、ブラッシュアップしたくて入塾しました。

「プレスリリースは、もっと他の書き方があるんじゃないか」と感じていた時に、PRについて検索したところ、PR塾に出会いました。動画を見たところ、笹木郁乃さんの説明がとても的確だと感じ、さらにその後三木佳世子さんのプレスリリースセミナーに参加し、入塾しました。

本講義などは出られていますか?

なかなか時間が取れないので、基本的には自分のペースで動画学習をしています。本講義に出た時、塾生同士のワークで自分の意見を言わなければならず、少し苦手意識もありましたが、続けることで自分の成長につながると感じます。参加できる時は、参加していきたいですね。

―PR塾に入ってから、プレスリリースの書き方は変わりましたか?

インド料理で”カティロール”という平たいパンに具材を巻いて食べるメニューがあるので、これを節分の時期に合わせてプロモーションしようと、企画を立てました。PR塾に入ってから2枚目のリリースだったので、どういうポイントをおさえて書けばいいか、大体理解はできていました。ロゴ、パッケージ、撮影も弊社で請け負って、商品の見せ方から企画を進めて、PRを行うことができたんです。結果的に、地元テレビ局2社、地元新聞3紙、ウェブメディアに掲載され、さらにYahoo!ニュースにも転載されました。

話題を作った裏側には、強い企画力があったのですね。地方でPRをするメリットは、どこにあると思いますか?

他にしている人がいないことが大きなメリットですね。同じことをしていても、東京だったら埋もれてしまいますよね。でも、地方にいると直接多くの経営者とつながることができて、人脈が広がります。困った時はすぐに相談できますし、経営に関する知識が増えたと思います。

手島さんの夢や目標をお聞かせください。

一つ目は、金沢で女性起業家を増やしたいということです。金沢に戻って来て感じたのは、金沢には控えめな女性が多いことです。人目を気にして思うように行動できない人が多いと感じます。「金沢の女性たちに輝いてほしい」と思い、女性起業家支援セミナーを開催したところ、すぐに満席になりました。私も、以前は受け身で人見知りな部分があったので、彼女たちの気持ちがよく分かるからこそ、支援していきたいと思っています。

もうひとつは、金沢で若者の雇用を増やすことです。金沢には技術もセンスも豊富な若い人たちがたくさんいます。フリーランスで働いている人も多いです。ところが、そういった若者たちには代理店の孫請けで安く仕事を請け負って疲弊しているケースが多くみられます。会社を経営する中で、積極的な事業展開をすることで雇用が創出することができると感じています。金沢で魅力的な会社を作り上げ、自社の強みであるPR・プランディングを、金沢という街を通して成功させ、働く人も関わる人も自分らしく幸せに過ごせるサービスを提供していきたいです。

―会社員時代に既にPRの経験があった手島さんですが、PR塾でPRの最新テクニックを身に付け、ご自身の事業をさらに発展させています。今後もご活躍を楽しみにしております。

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