受講生インタビュー

「お金に対する不安を解消してほしい」。金融と心理学を組み合わせたオリジナルのメソッドをPR塾での学びを生かし出版。上原 千華子(うえはら ちかこ)さん

お金の実用書「ファイナンシャル・セラピー」を出版された上原千華子さん。大学卒業から何年も金融の世界から遠ざかっていたという上原さんですが、転職をきっかけに、本当にやりたかった金融の仕事を志すことに。独立後は、様々な仕事を経験しながら金融と心理学を組み合わせたオリジナルのメソッドを考案。お金に対する悩みを持っている方を心理的な側面から解決したいと、メソッドを広めるためPR塾で学びをスタート。PR塾での学びから出版に至った経緯をお聞きしました。


PROFILE

金融教育家/大人の金融教育 実践講座、ファイナンシャル・セラピー講座 主宰/(株)ウェルス・マインド・アプローチ代表取締役

金欧米投資銀行17年間勤務、個人投資家歴26年。証券外務員一種、心理学NLPを使ったマネークリニック®️認定トレーナー。金融知識だけではお金の不安が消えなかった経験から、心理学を取り入れたライフプランと資産運用を教えている。「お金の教育をもっと身近に、心から豊かな人生を」がモットー。2023年7月「『お金の不安』をやわらげる科学的な方法 ファイナンシャル・セラピー」を出版。お金の価値観が明確なり、自分にあった資産形成ができるようになるお金の実用書として読まれています。

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2023年7月に出版した書籍

大学時代、精神的にも金銭的にもどん底に

子ども時代はどんなお子さんだったのでしょうか?

宮崎県出身ですが、のんびり元気に育ちましたね。父が銀行に勤めていて、当時、金利が高かったので「定期預金はね、こういう風にしていけば、お金は増えるんだよ」とか、「こういう税制優遇の制度を使うとお得なんだよ」という話を聞いて育ちました。子どものころからお金や経済に興味がありましたね。

大学は大阪の学校を受験して無事に受かりました。本当にごくごく普通の家庭で育ちました。それが、大学に入学して数か月で父が病気で突然亡くなってしまったんです。大学1年生の9月くらい。大学生活にちょっと慣れてきたかな、という頃でした。

これまで、特にお金の不安もなく暮らしてきたので、父親が亡くなったことで明日からどうするの?本当にどん底に落ちた感じでした。突然亡くなったショックもありましたし、母は専業主婦だったので、経済的に大丈夫かな?大学は中退しないといけない、という話も出ました。だけど、ずっと専業主婦だった母が、子ども2人はどうにか大学を出したいという思いで、50歳で初めての就職をしたのです。待遇的にもそれほどいい職につけないけど、頑張ってくれました。

色々な会社を転々としながら、やっぱり金融が好きと気が付く

大学卒業後は金融関係に就職されたのですか?

金融業界で働きたい気持ちがあったのですが、働き詰めの銀行員の父をずっと見てきた母に、「金融はすごく大変だからやめときなさい」と反対されました。母に心配かけたくない気持ちが強く、日本のメーカーに就職することにしました。そこでは、機械を輸出する貿易実務や、海外代理店のサポートなどをし、5年半くらい働きました。

当時、活躍されている外国人女性のお話を聞く機会があって、外資系に行きたいという気持ちが芽生えてきました。その後、転職した外資系の石油会社で、オイルトレーディングという金融に近い仕事をしているうちに「私、金融に興味あったんだ」ということを思い出したんです。
主人に話をしたら「そんなに興味があるなら、まずはファイナンシャルプランナーの勉強をしてみたら?」と言われて勉強をはじめたんです。その後に金融機関に転職しました。

今振り返るとやっぱり、金融が好きで得意だったと思います。まわりの方にも恵まれて、どんどん知識を吸収して、実務経験を積んでいきました。

念願の金融機関で働くも、体調を崩して命の危機。本当にやりたいことに挑戦しようと決意

体調を崩され、一時は命の危機があったとのことですが、そこからどうして新しい事に挑戦しようと思われたのですか?

結局17年間、外資系の金融機関で働いていました。金融ってすごくハードな職業で、体調を崩してしまい、もう金融業界で働くのは難しい…という体調になってしまって。病気で入院もしました。一時期、命の危機もありました。

「大変なことになった」と思いながら、命は助かり、どうにか少しずつ、症状も落ち着いてきたところで、これからの人生どうしよう…何にも考えてなかったと気が付きました。
「セカンドキャリア?」「起業?」そんなこと1ミリも考えたことないし、どうしよう…と焦りがすごくありました。

やっぱり1回、本当に命の危機を感じると、やりたいことをやっておいた方がいいなって気持ちになるんですね。それで、やりたいことに挑戦しようと思えたんです。

本当に転機でしたね。再就職ではなく、なぜ起業をされたのですか?

体調が、安定するまで数年かかかったので、朝起きて具合が悪くて、会社に行けないとなると会社勤めは難しいと思いました。自分が体調のいい時に、ちょこちょこ勉強しながら、何ができるかなと考えていました。この時期は結構長かったと思います。

焦って起業しなきゃっというよりは、ちょっとずつ自分のことを内省し、スキルアップもしながら、どうしていこうか考えられたのですね。

焦りはあったのですが、やっぱり体がついていけない状態でもあったので。しょうがないから、体調のいい時に自分が学びたいこととか、何に向いてるかなとか考えて、起業塾に行ってみたりしていました。できる範囲のことで、コツコツ小さなことを積み重ねていました。

脳科学と心理学を学び、金融との組み合わせをひらめく

そこからどうやってファイナンシャル・セラピーにつながるのでしょうか?

初めに行った起業塾は、コーチングを教えていて、初めて脳科学と心理学を学びました。先生が、自分の強みと掛け合わせるといいよ、と教えてくださったので、金融と心理学というカタチをぼんやり考えていました。

その時にできたんですね、金融と心理学。

その後もお金と心理学という組み合わせにすごく興味があって、他の心理学スクールにも通いました。アメリカの世界権威が開発した「NLPマネークリニック®」という、お金のマイナスイメージを深層心理から改善するプログラムを見つけました。これは絶対私のためのプログラムだと思い、すぐに申し込みました。
お金の思い込みって人生のいろんなところで影響を与えるんです。それを前向きなものに変えていくと人生も好転するよ、というプログラムです。

それを教えることもできたのですが、やっぱり私は金融出身だし、金融的なことも教えたい。このマネークリニックで学んだものと、金融の関連性はあるけど、融合するとなると、全く対局にあるような感じがして。融合するのにどうしたらいいか、色々な人に相談したのですが、みんな「?」みたいな感じでした。

お金と心理学の組み合わせを学ぶために通ったスクール

心理学を使ったお金のセミナーは怪しい?受け入れられやすい資産運用セミナーを開催

金融と心理学を融合したセミナーを開催するためにどのような工夫をされたのですか?

ひたすら PDCAをぐるぐるぐるぐる回しました。初めに心理学を使った資産運用セミナーを開催したら、面白そうだけど、なんか怪しそうな感じがするということで評判が微妙でした。だから、一旦心理学との組み合わせはやめて、一般的な資産運用のセミナーを単発でどんどんやりました。

色々な方のお悩みを聞いていくうちに、心理的な悩みをみなさんが持っていることがわかりました。それなら、お金についてどう思っているか気づくよいきっかけになると思い、おまけでセミナーに少しずつ入れたら、興味のある方が出てきて。少しずつ、今のファイナンシャル・セラピーの母体ができていった感じです。だから、自分が金融×心理学でやるって決めたものの最初は何を教えるんだろう?みたいな感じでした。

資産運用セミナーを開催したときの様子

本格的に「ファイナンシャル・セラピー」を広めるためPR塾へ

なぜPR塾に入られたのですか?

コロナ禍までは、金融とは違う仕事をしていました。企業の業務改善の仕事を受けていて売上は安定的にあったんです。それがコロナ禍で急に売上がゼロになってしまって。そこから、金融を本業にしようと考えるようになりました。

私は父が亡くなって経済的な困窮に陥ったことが原因で、人一倍お金の不安が強いことに後から気が付きました。当時入っていた起業塾でお金の思い込みワークをしたことで、お金の不安ってこういう解消の仕方もあるんだと知りました。そこで私と同じように困っている人を助けたい、私の知識を届けたいという思いが出てきて、挑戦する事を決めました。

その後、2021年くらいにアメリカでファイナンシャル・セラピーという新しい領域が注目されている記事を見ました。それはお金のアドバイスと心理カウンセリングを組み合わせたものでした。私と同じことを考えている人がいて、海外で注目を浴びている、私がやろうとしていることは間違いないと確信しました。これはもっと広めなくては!とスイッチがはいり、PR塾に入塾しました。

金融の専門家としての地位を確立するところからスタート

PR塾に入って、どのように活動されたのですか?

笹木郁乃さんと1対1でコンサルをした時に、ファイナンシャル・セラピーのお話をしました。まだ認知もこれからという時でした。

その時に郁乃さんと、金融の専門家としてメディアで連載を取って、それから出版を狙いましょうという作戦を立てました。郁乃さんが私のメソッドをいけるって信じてくれたのが嬉しかったです。

個別コンサルの時に、すごく真摯にアドバイスいただいて、絶対PR塾のメソッドの再現性を信じて、真面目にコツコツやろうって決めていました。PR塾がなかったら、出版は絶対に叶わなかったことです。

LITA本社で笹木郁乃と対談したときの様子

-PRとかSNSみたいな認知活動はもともとされていたのですか?

SNSの投稿や、集客の仕方などはコロナ禍の時に学んでいたのですが、メディアPRは、もう全く未知の世界。1回か2回ぐらいメディアに掲載していただいたことはあったのですが、それはただライターとして書く感じでした。

-メディアPRを学ぼう、メディアに載ろうって思った理由があったのですか?

金融教育を本業にしようと決めた時に、SNSでお金のことばっかり発信すると、怪しまれるかなと思ったり、間違われるかなと思ったり。どうしよう?と考えた時に、金融の専門家は、テレビなどのいろんなメディアに出てるなって気がついたんです。

SNS集客もできなくはないけど、ちょっと軽い感じに見えてしまう。それよりは、日本の社会課題を変えるような、行政や国が主宰する講演にも呼ばれるぐらいの自分になりたいというイメージがあり、それだとSNSで発信とのギャップがあると思いました。権威性を身につけるやり方が、フィットすると考えました。

2年間で110件以上のメディアに掲載

PR塾で初めてメディアPRを学ばれてどうでした?

始めの数か月は、今までまったく縁のない世界だったので、何のことを言っているんだろう?大丈夫かな?随分難しい塾に入っちゃったな…と思っていました。

実践のワークがあるので、やっていくうちに頭で情報として覚えるのもそうだけど、体を使って実践していくっていうところをしていったらコツが掴めてきました。

-初めて掲載されたのが女性誌だったのですね?

女性誌に送った企画書は、「ファイナンシャル・セラピー」について書いていたのですが、そういう尖ったものではなく、一般的なお金の知識として書いて欲しいとおっしゃって。それでしたら、マネー特集とかありましたらお呼びくださいってお伝えしていたら、電話がかかってきて掲載が決まりました。紙面では、お金の知識と習慣の話を伝えました。

メディア掲載は、ヤフーの転載も含めて、2年間で110件くらいのメディアに掲載されています。ただ、もう最近は数えられていなくて…。

PR塾の「メディア交流会」で企画書を提出。編集者の目にとまる

-出版が決まったのはどういうきっかけだったんですか?

出版は、PR塾の講義のひとつであるメディアの方が来られて、商品やサービスを紹介するという「メディア交流会」でプレゼンしたことがきっかけです。そこに来られた出版社の編集者の方に企画書をお見せしたところ、興味があるということで、それが1つのきっかけになりました。
今、世の中に情報がいっぱい溢れているので、あまりネットでも聞いたことない、初めて聞くけどこれから必要なテーマを探しておられたのです。
「ファイナンシャル・セラピー」は、日本初のメソッドで、海外で人気があるという裏付けから、日本発の本ということで目をつけていただいたんですね。編集者さんも心理学のことをよくご存じだったので、相性や運もあったのかなと思います。

出版が決まった時はどんな気持ちでしたか?

生きてる間に、いつか本を書きたいって思っていて「あ、もう来た!」という感じでした。出版は、一人だけで取り組むプロジェクトではなくて、出版社様もコストをかけて、リスクを取ってということなので、もうこれは私だけの問題じゃない、とにかく頑張ろうと思いました。もう全力でやろうと決意して、本業もセーブしながら書きました。

-これまでは、自分自身の認知というところから、次はこの本を広めようと、すごい頑張られてますね。

SNS投稿は今までもずっとしてたんですが、こんな熱量でやったことはなかったかもしれません。

出版が決まってから、PR塾の仲間に出版プロジェクトチームを作ってもらい応援してもらいました。私一人では絶対できないので。大半はその一緒にやってくださってる仲間がPRをしてくれました。いろんな人に声をかけて集めてくれました。

出版したことでもっと広めていいんだと確信

出版して、自分の中で変わったこと、本当に良かったと思うことはどんなことですか?

良かったと思うのは、まずは本当に最後まで書けてよかった、発売されてよかった。正直、日本にはない概念なので、受け入れられるかなって不安はずっとありました。でも出版したら、意外とそうだよねっていう風に言ってくださる方が多かったので、そこは良かったと思っています。世の中に受け入れられるんだということがわかって、もっと広めていいんだなって確信に変わりました。

-5年前悩みながらご自身の活動を始められて、そして今、本があって、自分の認知だったり活動とか、まわりからの反応は変わりましたか?

結構変わりました。今までは講座をやっていてもどこかでお会いしたことのある人が中心でした。その方が教える私も安心感がありました。本が出た後は、まったく知らない方が参加してくれたり、LINEに登録してくれるようになりました。

今朝も、知らない方から個別相談受けたいというご連絡いただいたり。少しずつ、私っていう人間が知られているんだなと感じるようになりました。

「ファイナンシャル・セラピー」と言えば上原千華子と思い出してもらえる存在に

ーこれから挑戦しようと思っていることはありますか?

日本でファイナンシャル・セラピーを提供されている方は、私以外にもおられますが、まだ本当に一部の方なので、日本のファイナンシャル・セラピーというサービスを盛り上げていけたらいいなと思います。「ファイナンシャル・セラピー」といえば誰?となったとき「上原さんだよね」って言われるような、先駆者になりたいです。

最終的には、この「ファイナンシャル・セラピー」とか、お金の勉強を通して、皆さんが将来、物価も上がってるし、なんとなく不安だよねと思ってるところを少しでも、自分らしい価値観にもとづいて、楽しく生きていくヒントになればと思います。ちょっとおこがましいですが、お金の面で、もうちょっと楽しいことに使ったり、増やしたりとかみんなができたらなと思ってます。

上原 千華子(うえはら ちかこ)さん

認知活動だけじゃなくて、人生ちょっとモヤモヤして、悩んでいる方にもすごくヒントに、そして勇気になるお話が聞けました。ありがとうございました。

※2023年9月取材当時の情報です。

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