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受講生インタビュー

PR塾で地元を愛する生き方を再認識。廃業した老舗タオル会社を事業承継して黒字化に成功、6名の社員が30名に!2019年日経ウ-マン・オブ・ザ・イヤ-を受賞!−丹後佳代さん

PR塾卒業生 丹後さん

今回のゲストは、株式会社丹後取締役、丹後佳代さん。地元今治で創業から90年以上続くタオル工場をご夫婦で承継された丹後さん。営業経験で打ちのめされる中「藁をも掴む気持ち」でPR塾に飛び込んだのだそう。そして、受講後には老舗タオル会社を事業承継し、黒字化。6名の社員が30名になるという大きな結果に!

大きな飛躍を遂げた丹後さんが、PR塾を受講する前と後でご自身にどのような変化があったのか、お話を伺いました。

-Profile-

丹後 佳代
株式会社丹後(オリジナルタオルブランド”OLSIA”展開)取締役

1980年愛媛県今治市生まれ。90年続くタオル工場を引継ぎ、しあわせを織りなすという意味のタオルブランド”OLSIA”(オルシア)を全国へ展開中。日経ウーマンオブザイヤー2019受賞。トラストコーチングスクール認定講師。

https://www.tango-imabari.jp/

小学校教師、夫の家業手伝いを経て、タオル会社経営へ。地元・今治の人々が紡ぐ出会いとは?

-今日はよろしくおねがいします。

よろしくお願いいたします!

-まず、現在の丹後さんのプロフィ-ルを教えていただけますでしょうか?

現在は、愛媛県今治市でタオル工場を経営しています。

-ホ-ムペ-ジを拝見させていただいたのですが、地元の方たちと一緒に今治のタオルを作られているんですか?

もともと地元が今治なんですが、大学に入るときにやっぱり田舎が疎ましい、都会に出たいという想いがあったんです。そこで、関西の大学に行き、そのまま兵庫県で教師になりました。その後、結婚して、主人の家業を継ぐために今治に戻って、一緒に家業の手伝いに入りました。

-そうなんですね!

はい。私は普通のサラリ-マンの家庭に育ったので、家業がどんな風に成り立っているかということも全然知らず、まったくのド素人で保険業と不動産業をスタ-トすることになりました。その時感じたのは、地元の人にすごく助けていただいているということ。あなたのおじいちゃんやお父さんにお世話になったのよ、といろいろと教えてくださる方、失敗する私に「次にこれをやってみる?」って言ってくださる方、「うちの子供たちに保険付けてみてくれる?」って言ってくださる方など、地域の方のご縁で成り立っているんだなということが分かったんです。

家業は60年以上続いていて主人は3代目でした。自分たちはたまたま地元に帰ってきて後継者になったのですが、実際、今治は、自分が生まれた1980年代をピ-クに人口がどんどん減っていて、本当に過疎化・高齢化の波がすごいんです。シャッタ-もほぼ閉まっているし、特に保険や不動産を扱う自分たちは、世に出る前から空家問題や高齢化問題などの社会問題に直面する状況でした。人に言えないようなご相談を受けることもありました。それに対して、何もできない自分たちがいました。今治に帰ってきた意味として自分たちに何かできることはないだろうか、と少しずつ考え始めていた時期に、不動産のご相談で来られたのがタオル会社の社長さんだったんです。

実際は、「もう辞めるので不動産を処分します」という話で来られたのですが、その社長さんにはすごくお世話になっていたので、特に頼まれてはいないんですが、「事業を引き継いでやらせてください!」というお話をしました。一度は「大変だから辞めておきなさい」と断られましたが、その後、いろいろな経緯を経て、「自分たちの会社を立ち上げるなら」ということで、平成27年7月に「株式会社丹後」を起ち上げました。

私の役割は「伝えること」。藁をも掴む気持ちで飛び込んだPR塾。

-丹後さんは、オンライン受講ですか?

いえ。私は、リアルで受講しました。

-え?そうなんですか?今治にお住まいで、東京までどうやって通ったんですか?

丹後:飛行機で。

-ええ!そうなんですね。週に何回ですか?

そんなに頻繁には。あの時は、だいたい3週間に一回でした。

-飛行機で通っていたとは!

でも、その当時、OLSIAの営業職は私しかいなくて、催事などがあると週に2回ほど東京に来るような生活をしてたんです。ですから、東京に行くことに抵抗がなかったし、正直、藁をも掴む気持ちでPR塾に行ったということは確かですね。

-PR塾に入るきっかけとして、どういう意味で藁をも掴む気持ちだったんでしょうか?

事業継承のとき、職人さんや工場はそのまま引き継がせてもらったので、本当にすごく良いタオルが作れたんです。でも、前職では私自身はずっと事務で、扱っていたものも保険や不動産などモノでなかったり大きすぎたりしたので、私はいわゆる「モノを売る」という経験をそんなにしたことがなくて、「良いものができたら売れるんだろう」と気軽に思っていました。そのため、「こんなに良いタオルなのに、何で売れないんだろう」という壁にやっぱりぶち当たってしまったんです。

そこで思ったのが、すごく良い技術を持っているのが職人さんだとしたら、伝えるのが自分の役目だということ。それだったら、そこを学ぼう!と思った矢先に、たまたまFacebookで見た人が、たぶん笹木郁乃さんのところの卒業生だったのかな。そんな勉強があるんだ!と。驚きでしたね。それで、次に講座があるんだったら、行ってみよう!って。

-では、それまではメディアPRやSNSのPRなどはご存じなくて、イメ-ジもそこまで湧いていたわけではなかったのですか?

いえ、実際、2017年には雑誌のVERY(ベリ-)のフェスに応募して、フェスに参加させてもらっていました。その時初めて、モデルさんなど出演者の方全員に手紙を書いて、タオルを渡しました。そしたら、あるモデルさんがSNSに載せてくださったんですよ。そういう経験から、「自分たちができないことでも、違う人たちの思いでできることがある」ということをすごく感じて、そういうものがすごく大事だと思いました。そこで、日経にPRをして取材にきてもらいました。実際は、そのときはもうウ-マン・オブ・ザ・イヤ-を獲ることは決まっていたので、それを前提でどうPRするかを考えました。

しかし、当時、SNSに載って嬉しい!とは思ったんですが、それ以上できることはありませんでした。私、インスタグラムも知らなくて、リポストのやり方さえ分からなかったんです。

どん底からのスタートの中、PR塾で得たものとは…。

-営業で東京に行っていたとしても、3週間に1回PR塾に行くのはハ-ドルが高いですよね。そこまでしてPR塾を受けようと思った決定打のようなものがあったのでしょうか?

しいて言えば…PR塾のみんながすごくキラキラして見えたことでしょうか。そのVERYのフェスに行ったときに初めて知って、すごく衝撃を受けたことありました。それは、いわゆるママさんたちがヒ-ルを履いて、オシャレをして、キラキラ輝いていいんだ!ということ。お母さんだから諦めなくてはならないわけじゃないということ。笹木さんに出会った時も、こんなにアクティブにお仕事をされているのに「子供がいるんだ」と驚きました。そういう刺激がすごく良かったです。あとは、正直、会社としてお金が全くなかったので、何もしないという選択肢がなかったんですよ。売り上げゼロと取引先ゼロで受け継いだけど、不動産があって人はいるので、処理すべき給料や、月に何千万という支払いはある。そんな中で、何もしなかったらお金はどんどん消えていきますよね。

そんなとき笹木さんが、「広告は予算が付くけど、PRには予算が無いんです!」って言ってるのを見て、すごく惹かれました。

-ある意味、どん底状態からのスタ-トだったんですね。

そうですね。

-PR塾に入った後の率直な印象を教えていただきたいのですが。

PR塾に入った後は、笹木さんという人の魅力にすごく引き寄せられたのはもちろんですが、何よりもすごく良い仲間を得ました。笹木さんは、「PRで大空を自由に飛べる翼を」を初めに言っていたと思うんですが、まさに「PRで飛べる翼」と「仲間」を得たなと思っています。

あと率直に感じたのは、本当に「ワクワク」しかなかったです。行ったらその場で「ここにあれを送りたい!」などとやりたいことがムクムク湧いてました。プレスリリ-スって、自分が持っているものをちゃんと見つめ直したら、やることは本当に単純で簡単で、そんなに難しいことじゃない。例えば、講義中にプレスリリ-スを作って、電話の練習もしたのですが、この場で送ってしまえ!と思ってそのまま送ったら、数日後に新聞社から電話がかかってきて、取材に繋がったりしました。実際、大変だったりハ-ドルが高かったりするのは、やり続けることじゃないかと思うんです。

-そうなんですね!PRは難しいかも、という感じじゃなくて、やりたいことがムクムクといっぱい出てきたという感じなんですね。

マイナス感情は全くなかったし、そこで出会った人たちはすごいエネルギ-の塊だったんです。もちろん皆さん、「どうにかしなきゃ」という気持ちで来ていたと思います。でも、「私なんか」などとマイナスな気持ちで来ている人はそんなにいなかったと思います。皆さん、前向きなエネルギ-でした。

PR塾の講義はとどまらない。そして気づかされた…地元への「愛」。

-笹木さんたちから講義に対する情熱のようなものは感じましたか?

それはむちゃくちゃ感じましたね。あれだけの時間をさいて、しかもあれだけの熱量を持ってできるってやっぱりすごいと思いました。そして、すべてが最新。うちの会社の理念に「とどまることは退歩である」というのがあるのですが、笹木さんはまさにそれ。全くとどまってないと思うんですよね。

-そうですね。

それにまず、笹木さんは出し惜しみしないじゃないですか。彼女の講義って、ここからはちょっと伝えられない…というようなことが無かった。だから、何をすればいいかがすごくはっきり分かりました。そして、聞いたことに100%の力で答えようとしてくれるし、こちらがやろうと思えば思うほどすごく応援してくれました。

-PR塾を受けた後、具体的にどんな結果があったかというのをお聞きしたいのですが。

私が発見した一番大事なことは、「地域の中でやっていくことの大切さ」なんです。タオル会社さんは本当にたくさん色々ある中で、実際自分たちは一番小さいし、一番新しい。本当に20数年ぶりの新規参入なんですね。新しいことをする人なんて全くいない業界の中で営業に行っても、「今あるタオルで満足しているのに、何であなたのタオルを入れないといけないの?」などと言われてしまう。

-なるほど。

どの家にもあるのに、みんなタオルのことなんて考えたことなんてなくて、あればいいものとしか思っていない。そんな世界を私は変えたかったんですよ。PR塾での最初の作業として、足元を見つめ直すというのがあったと思うのですが、その中で言われた言葉が、「まずは今治であること、地域を大事にしなさい」ということでした。

それを聞いたとき、「私は、東京の新聞に載ろう、東京の雑誌に載ろうということに必死になっていたけれど、そうじゃない」と思い、初めてプレスリリ-スを愛媛に送って、取材をしてもらいました。そして、愛媛新聞という、田舎なので愛媛県の人がほぼ読んでいる新聞に載ったときに、「あなたたちの工場のこと載ってたよ!」って近所の人に声を掛けてもらったと嬉しそうに切り抜きを持ってきてくれたりと、工場の人がみんなすごく喜んでくれました。そういう中からの反響もありましたし、地域の知らないおじちゃんたちが柿などを持ってきてくれたりもしました。「ここに幸せがあったんだ!」ということを気付かせてもらったんです。「この人たちが幸せならなければ意味がない」と思って、伝え方を変化させたというのがすごく大きかった。

-それはやっぱり地元のメディアなどに載ったから、ということですか?

メディアに載ったからというか、大事にするものの視点を間違っていたということに気づかされたと自分は思ったんですよね。「地元をちゃんと大事にしなさい」と言われたことによって、地域の中でやっていくということの大切さを再認識できました。

そもそも地元の人の産業のことなどをいろいろ考えてタオル会社を始めたはずなのに、ここでは分かってもらえないから都会に行こう、都会で売ろうと思っていた。でも、お客様にタオルの良さを伝えて、それが伝わらなければ意味が無かったし、本当に喜ばせるべき人は、職人さん。こんなに一生懸命作っているということを知ってもらって、職人さんたちにタオルを作ることに誇りを持ってもらう。そちらのほうをしないといけなかったのに、順番を間違えてしまったな、と。

-タオル自体のブランドの価値より、手で作るということやその心意気をもっとPRしていったほうがいい、というふうに舵が変わったということですか?

私は結局、ブランド=ファンの数、というふうに考えているんですね。ブランドはファンが増えることによって初めてブランドになる。

私は、「しあわせを織りなす」という意味を込めて「OLSIA(オルシア)」というブランドを作ったんですが、初めから「OLSIAというブランドなんです!」と言われても、ピンとこないんですよね。でも、「ここでこうしてみんなが作ってきて、こういう技術があって、こういう思いでこんなタオルを作っているんです。だから、あなたを幸せにしたいので、このタオルを使ってみてくれませんか?」と言うと、「ちょっと使ってみようかな」と思う。それから、「このタオル、言われた通りのタオルだったから、次は誰かに贈りたいな」と思った時に初めてファンになって、それがブランドになる。

-なるほど。それはすごい変化ですよね。仕事に対するというか、自分のタオルのブランドに対する考え方の変化という感じですね。

私の中では両方とも、愛だったんです。大好きで、愛情があることには変わりはなかったんですが、質が変化したというか、より熱量を帯びたという感じですね。

PR塾で得た「自分の幸せ」。今後の目標は、その幸せを繋げること。

-最後に、丹後さん自身の人生にはどのような変化があったのか、というのもお聞きしたいのですが。

PR塾に行って仲間を得た中で、「人に応援されるだけではなくて、私も誰かに対して何かを返していきたい」「誰かを愛したい」と思うようになりました。 例えば、「この人のこんなところをこうPRしたらいいな」と思ったら、プレスリリ-スを書いちゃうとか、そういうこともやってるんです。

-ええ、そうなんですか!PR塾を受けるまではそんな考え方には至らなかったし、そもそもそんな考えはなかったんですか?

自分にやれることがあると思えるような経験があんまりなかったので。

-そしたら、それは人生の大きな変化ですよね。PRをしちゃおうというふうに考え方が変わったというのは、すごい!

PRを学んで自分が幸せになったので、「この人にも幸せになってほしい!」と応援したくなったんですよね。

-なるほど。それはお仕事にされているんですか?

PRを仕事にはしていません。全然まだまだ自分のことだけで必死です。お金をとってどうこうではなくて、田舎では、おじいちゃんおばあちゃんたちがすごく良いものを作ってらっしゃるわけですよ。それが「どうしたら広まるんだろうねぇ」ってお茶飲んでるみたいな(笑)

-そういった地方の方が全国紙に出るとか、全国のテレビに出るとなったら、PRの効果って絶大ですよね。

ええ。例えば、自分が繋げた人脈の中で、「この人にこれを送ったら、こう繋がるんじゃないかな」と思ったりすることもPRの一つですよね。「あの人にこんなお仕事を頼みたいんだけど」というつながりができたりとか。私自身もそうやっていろんな人を紹介していただいて、素敵な出会いをいっぱいいただきました。

-今日は素敵なお話をありがとうございました。

ありがとうございました!





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