活動報告

笹木郁乃&三木佳世子対談-PR塾のこれまでとこれから 前編

PR塾を運営する株式会社LITAは、これまでPR塾の成長に伴って事業を拡大させてきました。PR塾はこれまで約1000名の方にご利用いただき、より多くの受講生の方たちが、メディア掲載や仕事を獲得していただけるように、そしてご自身の事業の発展にPRを生かしていただけるよう、日々改善を重ね前進しています。そんなPR塾のこれまでとこれからについて、弊社代表取締役・笹木郁乃とPR塾の責任者、三木佳世子が語りました。今回は、笹木がPR塾を始めるまでのストーリーについて、お伝えします。

1歳児の育児中に副業としてPRコンサルを開始 人生に関わる喜びを見出した

ー笹木さんはエアウィーヴやバーミキュラでPR担当として結果を出してきた中、なぜPRの人材育成を始めようと思ったんですか?

笹木:PRを教え始めたのは、育休から復帰した約7年前のことですね。子どもはまだ1歳でした。会社に復職した時、大きな仕事を任されていた立場から、急にいなくなっても平気な役割になってしまい、働きたい気持ちの行き場がなくなってしまったんです。でも、まだ子どもが小さかったので、「もっと責任のある仕事をさせてください」と言う勇気も出ませんでした。「家族も大事にしたい」「でももっと働きたい」という思いを両方叶えるために、副業を始めようと決めたんです。

ただ、副業で自分に何ができるだろうと悩みました。特にPRにこだわりはなくて、転職サポートでもキャリアサポートでもなんでもいいと思っていました。とにかく、「誰かの人生を助けたい」と思っていたんです。

三木:PRではなく、転職サポート!今なら絶対PRを教えるほうが実績もあるし良いと思いますが、ご自身ではそう認識していなかったんですね!

笹木:自分のPRの実績がすごいとは思っていなかったんです。「PRでこれだけ結果を出しているから生かせるよ」と周囲の人に言われて、初めて気づきました。強みって自分では分からないものなんですよね。

そんな時、SNSで「1対1のコンサル」というキーワードが目に飛び込んできました。企業のPRを担当するのは責任が重すぎると感じていたので、「これなら1歳児を育てながらでもできるかも」と思い、まずはカフェでお茶を飲みながら、PRの相談を受けることにしたんです。これが、PRを教え始めたきっかけですね。

三木:お子さんがまだ1歳の時に副業もしようと思ったところが、郁乃さんのパワフルさを物語っていますよね。

ー具体的にどんな相談を受けていましたか?

笹木:当時は、喫茶店で1対1のコンサルを2時間3,000円でしていました。私も初めて行うことで慣れなかったので、2日前から準備をして…。ライトな副業をしようと思って始めたのに、結果的に全然ライトではなかったですね(笑)。お金稼ぎのためというより、当時は自分の生きがいを探していたんです。

ー初めてPRのコンサルをやった時のことは覚えておられますか?

笹木:とても楽しかったです!企業でPRの仕事をしていても、消費者の反応は直接分からないんですよね。例えば、エアウィーヴが多くの人に知られるようになっても、誰かがマットレスで快眠してくださっているんだろうなという想像でしかありませんでした。でも、1対1のコンサルは、目の前の相手が「ありがとう」と感謝してくれるんですよね。後に成果を報告してくださったり、SNSの発信を見てその方が目標に向かっている姿を見れたりと、関わった人の変化を目の当たりにできたのが新鮮でした。人の人生に関わっているという感覚に充実感を覚え、「この仕事は最高だ」と思いましたね。

「PRを教えたい」思いで退職 PR塾の前身をスタート

ーそれからPRのコンサルを本格的に始められたのですか?

笹木:1対1のコンサルがとても楽しかったので、「これからこの仕事をしていこう!」と決めました。副業を初めて4カ月経った頃には会社を退職して、半年間くらいは、1対1のコンサルを続けていましたね。

三木:さすが!4カ月で会社を退職するとは。この当時からスピード感がすごいです。

ーなぜ1対1の体制を続けていたんですか?

笹木:最初は人前で話すことに慣れていなくて、自分には1対1でしか教えられないと思っていたんです。しかもビジネスセンスもなかったので「3カ月コース」などは作らずに、単発で1対1のコンサルをずっと続けていました。

ーそこから変わったきっかけはなんだったんですか?

笹木:ある時気付いたんです。一生懸命コンサルをしているけれど、「月の収入が約8万円しかない……。これはおかしいぞ」と。その頃から、ビジネスや経営の勉強を猛勉強して、自分に足りないことや事業として必要なことに気づくことができました。それで、自分の事業をビジネスとして推し進める第一歩が踏み出せましたね。それから、まずは1対1コンサルの3カ月コースを始めたんです。

ーそれがPR塾の始まりですか?

笹木:そうですね。でも1対1だったので、自分が直接メソッドをお伝えできる人数には限りがあることに、歯がゆさを感じていました。周りには1対8や1対10でコンサルや講座をしている人たちがいたので、「せっかくなら私ももっとPRのメソッドを多くの人に伝えたい」と思い、1対8でやってみようと思ったんです。

三木:一番最初は1対8からスタートしたとは。今の受講生500人という状態からは想像がつきませんが、でもそれが、講座としての初めの一歩だったんですね。

最初の3年はつらくて何度もやめようと思った 受講生の存在がモチベーションに

ーPR塾を始めた当初は、スムーズに進められていたのでしょうか?

笹木:全然そんなことはなくて、最初の3年間はずっとつらかったですよ。講義が終わった後の反省会を、毎回1人でしていました。受講生さんたちの反応を見て、「分かっていなかったな」「全然ワークがみんなできていなかったな」と感じて、「もうだめだ。私には教えることは向いてない。やめよう」といつも思ってましたね。「人前に出るのが楽しい」、「みんなに話せるのが嬉しい」というタイプの方もいらっしゃいますが、私は全然そんな風には感じられず、自分の教えるコンテンツがどうも抽象的になってしまったり、行動に移しづらいものになってしまっていることを痛感していて、自分の実力不足にどんより落ち込んでいました。しかもその1〜2年間は、受講生さんたちも全くメディア掲載の結果が出なかったんです。

三木:受講生のメディア掲載がなかったなんて、今では考えられないですよね。

笹木:結果がでなかった理由を今になって振り返ってみると、自己紹介資料を作り、メディアの方に直接会いに行ってプレゼンをするという自分流のやり方を教えていたからだと思います。「リリースは書かなくてもいいですよ」とも言っていました。「メディアの方に会いに行ったら、仲良くなれるから」と。これは、多くの方にはハードルが高いことだったのですが、当時は「なんで成果が出ないんだろう?」と思っていました。

それでも続けるうちに、8名中2名くらいはメディア掲載の結果を出す受講生さんが出てきたんです。受講生のメディア掲載獲得が、PR塾を続けるモチベーションになりました。それから、講座の期を重ねるごとに、結果を出す受講生さんの数が少しずつ増えてきましたね。

三木:現在ではほぼ毎日のように成果報告が上がっていますが、初めからそうだったわけではなく、受講生の成果の出方も変化があったのだなと改めて感じます。でも、成果がでないことを「受講生のせいだ」とするのではなくて、「なんでだろう?」と問い続けたからこそ、今があるのですよね!

ー受講生が成果を出せるように、どんな工夫をされたんですか?

笹木:テキストやコンテンツは毎期ガラッと変えていました。教え方やコンテンツは本当に大事なんです。自分流のやり方ではなく、再現性のある方法に変えたら、受講生が結果を出せるようになったんです。こうして徐々に結果を出す方が増えてきて、ようやく「この講座を続けていっていいんだ」と、自分に“YES”を出すことができました。

三木:実は、私と郁乃さんが出会ったのは、郁乃さんがつらかった3年間のうちの最後の方ですよね。郁乃さんがメルマガで、「自分で教えるのは、この期で最後かもしれない」と書いていたので、学ぶなら直接郁乃さんから学びたいと思い、慌てて飛び込んだんです。

笹木:そうでしたね、3年なんとか続けてきて、疲れてきていた頃でした。佳世さんとの出会いで、私自身が本当に変化したんですよ。

三木:私も、あの時にPR塾に飛び込んだことで、今の自分の可能性が本当に開花していると感じています!

ここまで、PR塾の始まりについて、話を聞いてきました。後半は、2人の出会いや、その後三木がLITAにジョインし、OJT式PR塾の責任者としてチームを引っ張っていく立場になるまでについて、引き続き2人からお話を聞きます!

笹木郁乃&三木佳世子対談-PR塾のこれまでとこれから 後編

(2022年5月対談当時の内容です)