The post フリーライターから一念発起してPRプロデューサーの道へ。短期間で多数のメディア掲載を獲得―本村智世さん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
]]>PROFILE
新潟県長岡市出身。飲食店勤務や生命保険の営業、大手キャリアショップでのスマホ販売員を経て、2018年にフリーランスライターの道へ。PR会社でプレスリリースを作成する機会に恵まれ、広報PRに興味を持つ。かねてから抱いていた「地元長岡市の中小企業に貢献していきたい」という思いを叶えるにはライティングスキルだけでは足りないと思い、2023年4月にPR塾へ入塾。卒業と同時期にPRプロデューサーとしての活動を本格化させ、2024年は20件のメディア掲載実績がある。
HP:https://www.hasshin-support.com/
Facebook:https://www.facebook.com/tomoyo.motomura
―入塾前、本村さんはフリーランスライターとして働いていたとのことですが。
ライターになる前はドコモショップの販売員として、機種変更や故障対応の受付などをやっていました。産休と育休を経て職場復帰したのですが、それまで6年間かけて蓄積してきたキャリアを生かせる場所がなくなり、また新人と同じくらいのレベルから始めなければならない雰囲気になってしまいました。将来のキャリアについて悩むようになり、当時は子どもがまだ3歳だったので自宅でもできる仕事を探したところ、消去法でライターにたどり着いた感じです。
―ライターの仕事は、どうやって獲得していたのですか。
クラウドソーシングやTwitter(現X)などで見つけたり、アフィリエイターさんのライター募集に手を挙げたりしていました。そうした中、現在でもお付き合いが続いている東京のPR会社さんと繋がって、プレスリリースを書く依頼が来るようになった感じです。
―シンプルにプレスリリースを書くだけで、メディア掲載が獲れたかどうかの結果までは関与しない形だったわけですね。
はい。個別に配布するのではなくPRTimesに流すためのリリースを自己流で書いていました。メディア視点についても知らなかったですし、リリースを出した結果やクライアントさんに起きた変化も全く分かりませんでした。リリースを書くことはできてもそれは広報の本質的なところではないですし、書けてもメディアにどう届けたら良いのか分からなかったので、そこが理解できれば仕事の幅も広がるのかなと思いました。それで、もう少し自分の仕事の成果が見たくなって、PR塾で学ぶことにしました。

―PRを学ぶ場所としてPR塾を選んだ理由は何ですか。
入塾のだいぶ前でしたが、広報・PRの仕事に興味があって、PR塾について調べたことがあったので存在自体は知っていたんです。そんな時にSNSに広告が流れてきて、もう一度調べ直して入塾することにしました。決め手としては、未経験でも大丈夫そうだったのと、塾生が成果を出しているところが大きかったですね。ライターからPRパーソンに転向した方が結構いたのも理由です。
―入塾した印象はいかがでしたか。
聞いていた通り、本講義やSlackの添削とかもあるし手厚いサポートがありました。メディアの方の前で直接プレゼンできる機会があるのも知って、カリキュラムがすごく豊富だなと感じました。これだけ手厚ければ大丈夫かもと思うと同時に、Slackの成果報告を見たら皆さんが凄く結果を出していらっしゃったので、私は大丈夫なのかなと少し不安にもなりましたね。
―講義にはしっかり参加できましたか。
なるべく出席するようにはしていましたが、ライターの仕事が忙しかったこともあり、毎回出席するのが厳しい状況ではありました。当時はプレスリリースを書くにしても、PR会社から依頼された案件が多かったので、大っぴらに添削をお願いできないケースもあるなど、PR塾のサービスを使い切れていなかった面もあります。在塾中は、PR会社の案件でリリースを書いて、3~4件掲載が実現した程度です。
―成果が本格的に出始めたのはVIPプランに入ってからですよね。
はい。PRプロデューサーの試験に受かって、やっとPRの仕事にしっかり取り組むことに気持ちが向いた感じです。
―結果が十分出せていない状況で、焦りみたいなものはなかったですか。
1年間しか受講期間がないので、多少焦る部分はありましたが、VIPプランもあるので大丈夫かなとは考えていました。

―現在担当している飲食店や鉄工所などのクライアントはどうやって探したのですか。
地元の経営者の方々が集まる異業種交流会に何度か参加して顔を覚えていただき、PRの仕事をしていますと言い続けているうちにご依頼いただけるようになりました。最初にメディア掲載が実現したのは飲食店の方です。にいがた経済新聞さんや地域ニュースサイトの号外ネットさんなどをはじめ、5つのメディアから掲載を獲得しました。もう1社のほうも、これまでに9つのメディアから掲載を獲得しています。PRを本格的に始めて3ヵ月ほどの期間に、2社合計で14件ほどの掲載が獲れました。
―それだけ多くの掲載を獲得できた要因についてどう考えますか。
出来上がった記事を拝見すると、プレスリリースを基にして書かれていたものが多かったので、良いリリースが書けたことがまず要因としてあると思います。鉄工所さんの方は期間限定の案件だったため、メディアアプローチもできるだけ数多くやったからではないでしょうか。お陰様で結果が出たため、そちらは契約期間を延長していただくことになりました。
―今後の目標について教えてください。
今担当している2社については地域密着で事業を手掛けているところなので、新潟県内のテレビ番組に出していきたいというのがまずあります。その上で、全国的な知名度向上ができたら嬉しいです。新規案件獲得については、今のところ自分一人でやっているためキャパシティに不安はありますが、長いスパンで考えていきたいです。
―最後にPR塾にこれから入ってくる方々にメッセージをお願いします。
PR塾のサポート体制は唯一無二だと思います。本当にサポート体制が手厚いですし、成長できる仕組みがたくさんあります。広報PRの実務経験がなかったのに、こうして仕事ができているのはPR塾でのご指導があってこそです。入塾を検討する理由はいろいろあるかと思いますが、少しでも興味があるのであれば、思い切って飛び込んでいただいて大丈夫です。
―力強いメッセージ、ありがとうございます。

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大阪生まれ大阪育ちで小学校1年生男児の母。新卒で銀行へ入行し、金融事務全般及び個人営業を経験。出産を機に退職し数年子育てに専念した後、フルリモートで経理やコンサルティング業務を経験。仕事に大きな不満はないもののやりがいを感じられず、かねてより興味のあったPRを本格的に学ぶべくPR塾への入塾を決意。現在は所属会社内にPR事業を立ち上げ、子育てと両立しながら仕事に邁進する。
―北野さんはもともと銀行員で、退職後はフルリモートで経理やコンサルティングの業務を手掛けられていたそうですね。PRに興味を持ったのはなぜですか。
仕事自体が嫌だったわけではないですし、子育てしながら働く環境にも恵まれていましたが、人から感謝されたり楽しいと感じられたりすることも少なくて、このままで良いのかな、と疑問を持っていたんです。それで、自分にしかできない、心からやりたいと思える仕事について考えるようになりました。
―PRに興味を持ったきっかけは?
PRのことを最初に意識したのは銀行員時代です。当時は中小企業の社長さんたちと接する機会が多く、事業内容や立地など、同じような条件下でも売上の明暗が分かれている企業があるのを目の当たりにしていました。実はPRが上手くない会社の方が良い商品やサービスを作っていることも少なくなかったのですが、経営が上手くいっている企業はPRが上手で認知拡大による影響が大きいと感じていました。
本当に素晴らしいものや美味しいものを作っているのに、消えていってしまう会社があるのは悲しいなと思っていましたが、当時は自分がPRをできるとも思っていなかったですし、どういうふうにするのかなという興味ぐらいでした。在宅ワークになってからも、子育てと仕事の両立で忙しく、時間もなかったので本格的に取り組もうとは考えていませんでした。
―その記憶があったのも影響しているわけですね。PRを学ぶのにさまざまな選択肢がある中で、PR塾を選んだのはなぜですか。
転職についていろいろと検索しているうちにネットにPR塾の広告が上がってきて、サイトを見るようになって、無料説明会に勢いで申し込んだ感じです(笑)。
―スキルアップを謳う広告が沢山ある中で、PR塾にそこまで惹かれたのはなぜでしょうか。
やっぱり、すごく成功されている方が多いのと、そうした方々のインタビューをまさに「LITAマガジン」で見たんです。こんなふうに仕事が出来たら、ベストだなと思いました。だから、今日インタビューを受けているのがすごく嬉しいです(笑)。もしかしたら自分にもできるんじゃないかなと思えましたし、PR未経験でも、他の業種やいろいろな社会人経験が生かせそうに感じたのが大きかったです。

―実際に入塾した印象はどうでしたか。
成果を出している方がたくさんいらっしゃって、キラキラしている印象を受けました。Slackの成果報告も最初は憧れとして見ていて、すごいなと感じると同時に、日が経つうちに自分では同じようにできないかもしれないと思って焦ったりもしました。でもせっかく入ったので、とりあえず基礎となる講座は3カ月ほどで見終えて全体の流れを掴みました。
―最初の成果はどんなものでしたか。
昼間の仕事は続けつつ、友人が経営するオーダーメイドサロンのPRを引き受けましたが、最初はなかなか上手くいきませんでした。個人経営で規模が小さかったことや、メディアの方々が求めている画が撮りにくかったことが苦労した理由ですが、記者さんにお手紙を出したり、電話したりといった一連の流れを経験できたのは大きかったです。
流れを掴んでからは、メディアの方々と良い関係を築けるよう電話のタイミングやお手紙の内容など、こちらの思いが伝わるよう丁寧な対応を心がけるようになりました。これは、銀行員時代に顧客対応で培ったものが生かせていると思います。そのうちにウェブメディアの取材を一件獲得できて、大きな成果ではなかったですが、お友達にも喜んでもらえて、初めの1歩としてはまずまずの成果でした。
―次に手掛けた「ライジャケサンタ」のPRでは、メディア掲載が連鎖しましたよね。
それまで学んできたことが成果として出た感覚でした。消防士さん向けのライフジャケット講習会のイベントがあったのですが、プレスリリースをきっかけに、Yahooニュース、朝日新聞、NHK、九州朝日放送などのメディアから取り上げられました。最初はクライアントさん自らメディアアプローチして反応がなかったのですが、私が代わりに動いて取材に来てもらえたので、とても喜んでもらえました。イベント直前まで記者さんに来ていただけるか分からなくて、もしゼロだったらどうしようとドキドキしましたが、前日に最終確認でお電話したところ、OKだったのでホッとしましたね。
―そのクライアントさんのPRは今も継続しているのですか。
はい。地元では少しずつ認知度が上がってきたため、今はイベントのリリースというよりもストーリー企画として全国に広げたいという思いがあります。それで近々、人物像を紹介する全国ネットのテレビ番組の撮影も入る予定です。

―狙い通りに結果が出ていますね。今、担当しているのはその2社だけですか。
12月以降、3社目のクライアントさんが加わる予定です。
―新規案件の獲得はどのように行っているのですか。
リンクトインです。PR塾での講義を参考にアカウントを作って、依頼が入ってくるようになりました。
―昼間の仕事を継続しながらだと、時間の捻出が大変ではないですか。
今はPRの仕事は夜にやる感じですが、今後はPR事業をさらに拡大していきたいと思っています。今のところ、PRですごく収入を得ているわけではないので、 将来的に収入を得るための種まき期間と思っています。今のクライアントさんでしっかり実績を残していくことで、高単価の依頼を受けられるようになるかなと考えています。

―PR塾に入って良かったと思うことは何でしょうか。
仕事が楽しくなったことですね。あとは、全くのゼロ知識状態だった私でも、内容が整理されているので一連の流れを 1人で理解できますし、講師のみなさんに相談できる点も嬉しいです。その環境が整っているところが、離脱せずに学びを進めていける理由だと思います。
―リリースや企画書の添削も頻繁に活用されていますよね。
自分で出すものの他に、塾生の皆さんの添削を見るのがすごく勉強になります。自分だけでは探しきれないメディアについて知ることもできますし、学ぶところが本当に多いです。
―最後にPR塾にこれから入ってくる方々にメッセージをお願いします。
この記事を見てくださっているということは、もちろん興味がある方だと思いますし、私も最初は迷う気持ちや不安な気持ちがありましたが、PR塾はやる気があればとことんサポートしてもらえる環境だと感じています。
全くの未経験から入った私でも少しずつ成果を出すことが出来たので、迷う気持ちがあれば飛び込んでみることをおすすめします。PRはクライアント様に喜んでもらえるやりがいのあるお仕事ですのでぜひ一緒に学べることを楽しみにしています。
―ますますのご活躍を期待しています。本日はありがとうございました。
※2024年11月取材時の情報です。

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]]>The post 法務のプロからPRプロデューサーの道に飛び込む 広報・PRとしてのプロ意識を持てたのが最大の変化―三間瞳さん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
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企業法務の仕事を経てフリーランスになった後、法務関係の仕事やコーチングスクールの運営などさまざまな業務に携わる。「障害あるなしに関わらず誰もが情熱を解き放つ社会を創る」を理念に障害者家族の映画をプロデュースし、メディア掲載は30超。多数のメディア掲載がキッカケでTEDxへも登壇オファーが舞い込む。その後、自身もPRプロデューサーとして企業の広報PR代行を実施し、クライアントも次々にメディア掲載となり、知名度アップに貢献。その他、こども向けビジネスキャンプも主催するなど、幅広く活動している。
Facebook: https://www.facebook.com/himi1001
会社HP: https://www.bp-and.co/
―三間さんのこれまでのキャリアについて教えてください。
まず、新卒で入社した会社で3年、転職して3年、合計6年間法務の仕事に携わりました。入社1年目から海外案件を担当させてもらい、英語を使って交渉したり、契約書を読んだりするスキルを身に付けました。その後フリーになって、企業の法務部立ち上げを支援したり、コーチングのオンラインスクールを開催したり、日本の商品の海外での販売促進を手掛けたりと、いろいろなことをやっていました。
―さまざまな仕事を経験されたわけですね。PR塾に入ったきっかけは何だったのでしょうか。
コロナ禍になって、SNSでの発信やライブ配信に力を入れたところ思いの外バズって、他のメンバーと一緒に約1年半で9つほどオンライン講座を作ったんです。それでかなりの収益を得たのですが、SNS集客による活動がいつまでも続かないことは分かっていました。
ちょうどその頃、自身の境遇でもある、「障害者のきょうだい」の人生を描いた「ふたり〜あなたという光〜」という短編映画のプロデュースを始めたのですが、オンライン講座の受講生さんたちが応援してくれたことでクラウドファンディングも非常に盛り上がって、社会現象になるんじゃないかと思えるくらいに支援者が増えたんです。その時の運営メンバーの中にPR塾の卒業生の方がいて、メディアリストやプレスリリースの作成などを担当していただきました。

試写会には記者の方たちにたくさん集まっていただきましたし、実際にNHKをはじめ多数の媒体で紹介されると大きな反響があり、PRの威力を感じました。それまで自分たちで手掛けていたSNSだけではリーチできない層にまで届くというところが大きな驚きでした。さらに、信頼できる女性起業コンサルタントの方に、「PRとか向いてそうだよね」って言われたことも後押しになり、「そうだ、PR塾に入ろう!」と思い立ちました。
当時の私はどの分野においても自分の中で「やり切った感」があり、過去の延長線上では目標を持てない状況でした。PRという職種ならやり甲斐もある上、情熱を持って取り組めるのではないかと思い、PRプロデューサーになるために飛び込むことにしたんです。
―入塾してみた印象はいかがでしたか。
私も講座を作ってきたから分かるのですが、コンテンツがとても充実していて、「ここまでしてくれるのか」と、本当にありがたく感じました。テキストがしっかり作り込まれていて、動画コンテンツがいつでも見られて、リアルでも会話ができる場所があって、Slackで質問や添削に対応している。ここまで手厚い講座を運営するには、事務やサポートメンバーもしっかりしていないと難しいですし、落ちこぼれる人が出ないように、本当にきめ細やかなサポート体制が出来ていると思いました。
―PRする題材はどのように見つけていったのでしょうか。
実は入塾した頃にまたオンラインのコーチングセッションを始めて、そちらが忙しくなったので全くPRを勉強する時間が取れなかったんです。そんな時に、たまたまプロデュースした映画がU-NEXTで配信されることになったので、そのプレスリリースを書くことにしました。その他、自ら主催していた福岡県糸島市のこどもキャンプの事業に関しても、リリースを書くことにしました。
―なかなか時間が取れない中で、リリースの書き方などはどのように学んだのでしょうか。
本講義が開かれるのを待たずに、全てアーカイブ動画を見て、その内容をすぐに実行し、Slackの添削に出し、メディアアプローチを進めていきました。
―資料作りなどではそれまでの豊富な経験が役立ったのではないかと想像しますが、実際にメディアに電話してアプローチするといった経験はなかったですよね。
最初は電話にものすごく抵抗がありました。企画書を作るのは苦労しませんでしたが、私にとって、今の時代に電話を掛けたり、FAXを送るというアプローチがすごく謎な行為に思えて(笑)、メディアの文化を理解するのに時間が掛かりましたね。今でこそ研究のためにいろいろなメディアを見ているので理解できるのですが、それまではテレビも見ていなかったし、 ラジオを聴く習慣も全くなかったですから。
今思うのは、まだまだ伸びしろがある分野に取り組めるのが、とても幸せということです。自分の心構えも変わりましたし、メディアの人が反応してくれる話し方などを研究して、新しい発見があるのが面白いです。

―PRで最初に手応えがあった案件は何ですか。
自ら声掛けして、元ホストで現在は障害者支援を行っているクライアントさんからお仕事を頂いたのですが、「この人だったら絶対こういうメディアにアプローチすれば関心を持ってもらえる」と想定していたにもかかわらず、結果を出すまでには時間が掛かりました。でも最終的には狙った通りの内容でウェブ媒体の「ほ・とせなNEWS」に掲載が決まり、続けて「社長の履歴書」や「BizHint」からも取材依頼が来たのが嬉しかったですね。
―PRのどのような部分に面白さを感じますか。
「熱量高く、志高く、社会にとって素晴らしい事業をされている事業家さんを分かりやすくまとめて、メディアの方に推していくプロセス」が最高に楽しいです。私にはもともと「確実に伝えたい!」「的確に言語化したい!」という思いがあって、法務職ではそれが契約書でしたが、PRプロデューサーになっても対象がプレスリリースや企画書になっただけで、根本の想いや原動力は同じです。
その上、PRプロデューサーの場合は、熱量の高い人と触れ合えるため、一緒にいて私自身がエネルギーやパワーをいただけます。「この人を、このサービスを、世の中に充満させたくて仕方がない!」と、推し活の延長のような形で熱く仕事に取り組めること醍醐味であり魅力です。逆に素晴らしい人がメディアに採用されないと、とても悔しくて、「さらに自分の言語化力や表現力を磨こう」と、熱量が高くなります。この仕事に出会えて良かったです。もっと早く出会えていればとも思いますが、きっと今がベストタイミングだったのだと思います。
―PR塾で学んで、ご自身で一番変わったと思う点は何ですか。
「プロならこう考え行動するはず」と、自分の好き嫌いやこれまでの習慣とか言い訳は全て手放し、PR塾のコンテンツに触れている時だけではなく、「広報・PRのプロ」としての日々を送るようになったことです。
―今後の目標を教えてください。
元々、法務の仕事でもチームを組んで自分は派遣する立場になって組織を大きくしようと考えていたので、 PRの仕事も大きくしていきたいです。そのために横の繋がりを作って人を採用していきたいと思っています。あとは、いずれは私のクライアントさんたちのプロダクトを全部集めて、アンテナショップのような場を作れたら良いかなと思っています。どんな事業を展開するにせよPRは必ず必要ですし、PRができれば何でもできると思うので、この概念がもっと社会に広がっていってほしいですね。
―最後に、PR塾への入塾を考えている方に一言お願いします。
何の職業であっても極めるのは大変なことだと思いますが、サポート業や誰かを勝たせたいという思いがあって、 PRプロデューサーという選択肢を考えているのなら、PR塾一択だと思っています。先ほども述べましたが、これだけ頑張る人をサポートする体制が豊富な場所は他にないでしょうし、なかなか真似できることではないと思います。それこそがPR塾の魅力ですし、広報PRのプロが誕生していくのだと思います。
―力強いエールをありがとうございました。
※2024年10月取材時の情報です。

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元ブランド査定士&Webライター。 出産を機にフリーランスとして活動しながら5歳の息子を育てる。「なんとか社会と繋がっていたい」と、未経験ライターとして文字単価0.1円からスタートし、入塾前まで同4円のSEOライターとして活動。 PR塾のプレスリリースセミナーを機に広報PRに興味を持ち、2024年2月にPR塾に入塾。現在も現役生としてPRスキルを学ぶ。
Linkedin:https://www.linkedin.com/in/%E5%BD%A9%E9%A6%99-%E6%B3%8A-4169a12b9/
Facebook:https://www.facebook.com/ayaka.tomari.90/
―入塾してから次々とメディア掲載を獲得されていますね。
PR塾のプログラムが素晴らしいお陰です。入塾したからには費用の元を取ろうと思って頑張ってきましたが、たくさんコンテンツがあるので最初はついて行くのに必死でした(笑)。
―入塾のきっかけは何だったのでしょうか。
ライター歴5年目を迎えて「子育てをしながら、限られた時間の中でも夫と並び立てるくらい稼げるようになりたい」という思いが強くなり、入塾しました。ちょうどクライアント様からプレスリリースの作成依頼が来ていたタイミングで、PR塾の「プレスリリース添削セミナー」に参加したのですが、たとえばリリースは1枚に収めるということも知らなかったので、「それで掲載が獲得できるの!?」みたいな感じで驚きでしたね。
―ライターになる前は、ブランド品の鑑定や買い取りを行う査定士の仕事をしていたそうですね。
査定に興味があったわけではないのですが、その会社の社長さんが面白い方だったので、この人の下で働きたいと思ったんです。でも労働環境が厳しくて、5年間ほど勤めて結婚を機に退職しました。その後はアルバイトでコールセンターや整骨院の受付業務などもしましたがなかなか続きませんでした。そんな中コロナ禍になり、在宅でできる仕事を探したところ、文章を書くのが好きだったのでウェブライターの仕事を始めました。

―一般的にライターさんの報酬はそれほど高くないですよね?
一文字0.1円からのスタートでしたが育児の隙間時間で働けますし、クライアントさんから「すごく文章が分かりやすいですね」と褒められて、ライターなら頑張れるかも知れないと思ったんです。それで頑張った結果、3年後には単価を一文字4円まで上げることが出来ました。
でも、やっぱり収入の幅が大きくて、睡眠時間を削りながら頑張っても扶養内ギリギリ稼げるかどうかというところでした。「もっと社会に貢献する形で収入も増やしたい」と思っていた時にPRライターやPR代行の仕事を教えるスクールの広告がインスタグラムに流れて来てやってみようかなと。それでいろいろと検討した結果、LITAさんのPR塾なら安心かなと思い入塾しました。
―PRはライティングのスキルが生かせる場面が多そうです。
当時、プレスリリース作成の他にクラファンページ作成の依頼もあったので、PRに強くなったらもっと収入が増えるかなという考えでした。ただ、いざPRを始めてみたら経営者さんが喜んでくださるのが嬉しくて、とても楽しくなりました。そこから徐々に、ライターより向いているかもしれないと思うようになりました。
―クライアントはどうやって探したのでしょうか。
一緒に仕事をするはずだったクラアントさんの案件が頓挫してしまい、入塾して最初の3カ月間は新たなクライアントさん探しに必死でした。4カ月目にクラウドワークス経由で訪日外国人向けのサービスを提供するクライアントさんが見つかり、続いてリンクトイン経由で三重県の運送会社の社長さんからもダイレクトメールをいただき、大変ありがたいことにそちらも担当することになりました。

―リンクトインの活用法もPR塾のワークショップで学んだのですか?
そうです。とりあえずアカウントを作る宿題を出されて、何を投稿すれば良いのかも分からなかったのですが、投稿したらめちゃくちゃ拡散していただいて、PR代行の問い合わせが増えました。
―その中から良いクライアントと出会えたわけですね。最初に成果が出たのは運送会社の方ですよね。
プレスリリースがきっかけで三重テレビに紹介していただいた他、ヤフーニュース、中日新聞、中部経済新聞、伊勢新聞、業界紙など多数の掲載が叶い、文化放送や横浜FMのラジオ番組でも取り上げていただきました。訪日外国人向けのサービスは事業開始直後ということで苦労した場面もありましたが、結果的に日経MJやみんなの経済新聞、ヤフーニュースに紹介されました。
―素晴らしい成果ですね。ライター時代より収入は増えましたか?
結果的に収入は増えましたし、作業時間もライター時代よりかなり減らせています。
―掲載を獲得するために意識していることはありますか。
私としては資料を作っている時が一番楽しく、メディアに電話を掛けるのが苦手なので、どんなふうに話したら良いのか、未だに試行錯誤しています。その部分だけ少しハードルが高く感じますが、実際に結果が出る時はいつも電話がきっかけです。講義で道筋を教えていただけるので、その通りに行動することで成果に繋がっていると思います。あとは、聞いたことをすぐに実行するのは意識しています。たとえばワークショップに参加しても中途半端に終わっては意味がないので、最後まで仕上げて添削でアドバイスをいただくようにしています。
―今は子育てが大変な時期と伺っていますが、1日何時間ぐらい仕事に当てていますか?
息子に聴覚過敏の気質があり、保育時間の短縮や療育の送り迎えなど、働く時間の制限があるため時間を区切りながら働いています。1日のスケジュールで言うと、朝4時に起きて6時半まで資料を作って、6時半から 9時までは息子の世話をして幼稚園に送り、それから12時まで仕事をします。13時にお迎えに行って14時から17時ぐらいまでまた仕事をして、その後公園に遊びに行くような感じです。作業時間はバラバラですが、合計で大体6時間から8時間ぐらい捻出しています。
仕事を外注したらもっと稼げるのかもしれませんが、記者さんに書くお手紙や電話アプローチなど、私が手掛けたほうが良いと思われる作業があるので難しいところです。ですので、いろいろとお仕事の依頼をいただいていますが、今は泣く泣くお断りしている状況です。

―今後、達成したい目標はありますか。
卒業までの目標としては、自分自身の価値を上げたいです。信用していただくために、お試し期間と特別価格を設けていますが、やっぱり自信のない態度は絶対に見せてはいけないと思うので、クライアントさんに安心して任せていただくためにも、良い意味での図太さは出していきたいですね。現状でも比較的高めの単価で受注できているのは、ライターとして経営者さんと話す機会があったのが役立っているのかもしれません。また、規模の大きな企業さんの案件を手掛けるには社会的な信用が必要となるので、法人化も考えるようになりました。
あとは、子育てを理由に働きたくても働けないママさんたちの役に立てる事業をいつか手掛けられたらと、ぼんやり考えています。家でお仕事しながら、ある程度収入を得られるような仕組みをつくることができれば素敵だなと思っています。
―今、入塾を迷ってらっしゃる方や、入塾したけれどなかなか結果が出せていない方に向けてアドバイスをお願いします。
実は、私も悩みに悩んだ末に入塾を決断しました。でも今では「入塾しなかった未来」を想像するとゾッとするほどです。とりあえず騙されたと思って、学んだことを全部そのまま真似してみてください。自分の未来を変えるために全力で努力する気持ちが持てたら必ず報われると思うので、ぜひチャレンジして欲しいです。
―泊さんのように、学んだことを真面目に実行する人は必ず結果を出せています。本日はありがとうございました。
※2024年9月取材時の情報です。

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]]>The post PRを学ぶことで自分を見つめ直し充実した生活を手に入れる―笹川真莉菜さん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
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北海道出身。新聞社で販売営業職・秘書として9年間勤務し、出産を機に退職。 コロナ禍でリモートワークが中心になったことがきっかけで北海道へ移住を決意。 現在は夫(笹川ひろひで)のPR業務ほかYouTubeアシスタント・経理・秘書など裏方業務を中心に行う。
YouTube: www.youtube.com/@sasakawa
24時間ジムのHP: https://health-gym.jp/
プレスリリースで関わった商品のHP: https://livseed.jp/shop
―まず、笹川さんのキャリアから教えてください。
新卒で新聞社に就職し、販売営業職として大阪で4年間ほど勤めた後、東京に異動し、秘書として4年半ほど働きました。
その間に結婚したのですが、コロナ禍になって働き方や暮らし方について考えるようになりました。夫は理学療法士として病院で働く傍ら、副業でセミナー講師も務めていましたが、コロナ禍になる少し前に発信活動の方がメインとなり起業していました。世の中にリモートワークが広がっていく中で、東京でずっと働く必要もないのではないか、という話になり、私も将来のことをいろいろと考えて私たちの出身地である北海道に夫婦で移住することに決めました。
東京での生活はお互いの仕事の関係もあって夫婦ですれ違いが多く、別居婚のような状態でモヤモヤしていたこともあったんです。夫の仕事が忙しくなって1人で手が回らなそうだったのというのもあり、自分がサポートできるんじゃないかと思いました。
―当時、ご自身のキャリアについてはどう考えていましたか。
秘書の仕事も結局サポートの仕事でしたし、自分はそういう裏方の仕事が得意だと認識していたので、それを夫の傍にいて生かせば良いのではないかと考えました。子育てもあったため最初はうまくいかなかったのですが、徐々にやれることからやっていった感じです。
―コロナ禍を機にご主人の仕事もかなり忙しくなっていったのですね。
それ以前からリアルセミナーを開催したり朝日新聞出版さんから本を出させていただいたりしていたのですが、コロナ禍の巣ごもり期間中にYoutubeチャンネルの登録者が増えて、そちらの発信に力を入れていくことになりました。
―移住を決断した時はまだPRを手掛けるところまでは、考えていなかったのでしょうか。
そうですね。経理や手が回らない時の事務処理やカメラマンとしての仕事を手伝っていました。
―では、PRに関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
当時はそれなりに有名なPR代行会社に結構な料金を支払ってお任せしていたのですが、今ひとつ満足度が低い状態でした。夫のことをPRするにも担当者に一から説明しなければならないので効率が悪かったですし、結果についても費用対効果があまり感じられなかったんです。それなら夫の事業や背景に関して全て知っている私が、PRの知識を学んで行動した方が良いのではないかという話になり、夫から「PR塾と代表の笹木郁乃さんが凄いらしいから入ってみてくれないか」と言われて入塾することになりました。
―他のスクールに入る選択肢はなかったのでしょうか。
PR塾については夫から聞いて初めて知ったのですが、忙しい時はアーカイブ動画などで勉強出来ますし、子育てに影響が出ないようにフレキシブルにスケジュールを組めそうだったので、やってみようと。
―実際に入塾された印象いかがでしたか。
初心者にも丁寧に1から教えてくれるという印象でした。コンテンツが途中から増えていったので、SNS関連の部分を追い切れずに卒業してしまったのが少し心残りですが、満足度は非常に高かったです。
―学びの成果として、初めて手応えを感じた出来事は何ですか。
参加したメディア交流会で、私のプレゼンに対してゲストの方から「分かりやすかったです」と、感想を頂いたことですね。自分の商品やサービスの強みを分かりやすく人に伝えることが最初は全然できなかったので、そこができるようになったのが嬉しかったです。
―最初のメディア掲載は『日刊ゲンダイ』でしたよね。
回を重ねるにつれ話すことにだいぶ慣れてきたのもありますが、記者の方が夫のやっていることにとても関心を持ってくださって掲載が叶った時は「やった!」と思いました。
その後、『女性自身』にも掲載されました。こちらは2~3年前に取材を受けたことがある記者さんにプレスリリースなどでアプローチを続けていたのですが、忘れた頃になって連絡が来ました。だから、やっぱりPRって種巻きが大事なんだなと実感しました。
―いくつか掲載が実現して、メンタル面の変化はありましたか。
全く成果が出ないと申し訳ないと思っていたのでとりあえずは安心しました。それまでPRTimesなどに配信してもなかなか結果が出ず、焦っても仕方がないのでやれることをやっていこうと思ってはいましたが、まずは1歩踏み出せた感覚でした。
―PR塾での1年間の学びを振り返って、入塾前と後で変わった部分や成長したと思う部分はありますか。
何かの魅力を人に伝える際には、かなりシンプルにしないと響かないんだなっていうことが分かって意識が変わりました。メディア交流会の時もそうでしたし、個別コンサルで講師の方にアドバイスをいただいた時もそうなんですが、自分ではとても良いと思っていることが全く相手に伝わっていなかったり、メディア視点だと受け止め方が違っていたりということが多くて、分かりやすく相手に伝えるというのが非常に大切だと気付かされました。そこに真剣に向き合った1年間だったと思います。
―卒業されてからは他のPR案件を獲ることはせず、引き続きご主人のサポートをPRも含めて継続してらっしゃるのでしょうか。
はい。特にPRプロデューサーとして他の案件を獲ることは考えていません。引き続きPR塾で学んだことを地道にやっていきたいと思います。今はあまり活動できていないのですが、YouTubeチャンネルの登録者100万人を目標にしているので、そこに向けてプレスリリースを書いていくなど、地道に土台作りをしていきたいと思っています。

―人生の目的がしっかりとあって、そこにPRという要素を上手く取り入れている印象ですね。
自己実現というのとはまたちょっと違うかもしれませんが、PR塾に入って家族としてのチーム力が上がった気がします。チーム力が上がった結果として、日々の生活に対する満足度が向上している感じです。会社員として東京で共働きしていたころは夫婦が別々のベクトルですれ違っていましたが、その頃と比べて今の方がかなりハッピーですね。
―ワークライフバランスを実現する意味でPR塾が役立ったわけですね。同じような立場の方に向けてメッセージをお願いします。
経営者の方やPRプロデューサーを目指す方と違い、私のケースはやや特殊な気もしますが、本当に知識ゼロでも全く問題ないという点はお伝えしたいです。PRの知識やノウハウだけを学ぶのではなく、メディアの方々を始めとした人との関わり方や伝え方という本質的なところを考えて学びにできる場だと思います。だから、本格的に広報PRパーソンを目指していない方にとっても得られるものは多いと思います。
確かに「大手企業の秘書」の方が肩書としてはキラキラしているかもしれませんが、今の生活に変えたことに後悔はありません。自分軸でできることを見つめ直す機会になったので、PR塾に入ってとても良かったと思います。
―われわれが意識していなかったPR塾の良さを教えていただいた気がします。本日はありがとうございました。
※2024年8月取材時の情報です。

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三女一男の母。専業主婦中、子育てに行き詰まり、保育士資格などを取得する。保育園にて勤務する傍ら、子育て講座の講師も務め、また子ども会活動やPTA活動等、地域活動にも参加。その後、子どもの不登校がきっかけで不登校支援を始め、月に数回お話会を開催している。さまざまな活動をする中で、素敵な活動や人・モノに出会い、それらの認知を広げたいと思い、PRを学ぶためにPR塾に入塾し、1年程で新聞の取材を獲得した。
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―PR塾に入る前は専業主婦を長くされていたそうですね。
大学卒業後は就職せずにすぐ結婚して、長女が中学3年生になるまで15年間ぐらいは専業主婦をしていました。現在は4人の子どもがいます。
―それから保育士さんになられたとのことですが。
当時は子育てに行き詰まってしまって、自分の感情をうまくコントロールできなくなることが多かったんです。実は母親が保育士で、私も通信教育で勉強して資格を取っていたのですが、全然子育てが上手く行かずに自己嫌悪に陥っていました。でも、長女が専門学校に入ることになり、授業料を稼がなくてはいけなかったし保育士の求人は沢山あったので働こうかなと。それで、近所の保育園で採用してもらうことになりました。保育士として働く少し前から公民館で親子学級の講師も始めました。社会で働いた経験はそれが初めてになります。
―保育士の仕事は楽しかったですか。
結構大変でしたが、子どもたちが可愛くて仕事自体は充実していました。
―PRに関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
地域で子ども会やPTAなどの活動をしながら不登校の子どもたちの支援などもする中で、出会ってきた方々の活動が素晴らしいのに、あまり知られていないということに気付いたんです。「もっとたくさんの人に知ってもらいたい」と思っていたところに、友だちの砂羽美佳さんがPR塾に関する内容をフェイスブックに投稿しているのを見て「これだ!」と思いました。地域でいろいろな活動している方の情報を、PRによって必要な方に届けられるのであれば、ぜひやってみたいなと。
―未経験から決断するのに迷いはなかったですか。
PR塾はワンクール1年間で授業料もそれなりに掛かるので考えましたが、学びに対して先行投資して人生を豊かにできるのであれば入りたいと思いました。当時NPO法人の活動のお手伝いもしていたのですが、入塾前の面談で「その内容ならメディアPRしやすいですね」と言われたのも後押しになりましたね。
やはり保育士の仕事は体力を使うので年齢を重ねるときつくなってきますし、体力勝負ではない人生を考えていかなければいけないタイミングでもあったので、 PR塾でしっかり学んで仕事に生かしたいと思いました。

―実際に入塾した印象はいかがでしたか。
実は私、入塾式でちょっと泣いちゃったんです。オンラインで受講するのに私はパソコンが全く使いこなせなくて、それこそZOOM上で自己紹介をチャット欄にコピペすることすらできませんでした。その程度のレベルだったので本当に情けないやら悔しいやらで、泣いてしまいました。でも、その後チューターの方にフォローしていただいて、入塾してしまったからにはもうやるしかないと思いました。パソコン操作は2~3カ月ほどで慣れました。
最初の本講義は出版PR編で、講義の内容はすごく分かりやすかったですし、実際に企画書を書いてみて「私でも書けるぞ」と少し自信になりました。とにかく本講義だけは毎回出ようと思っていましたし、出席するのが楽しかったんですよね。
―その頃、保育士の仕事はまだ続けていたのですか。
講師の仕事は月に2回ほど続けていましたが、普段の仕事は退路を断とうと思って辞めました。PRするネタとしては裏方で働いていた地元の八千代市のカフェのことや、NPO法人の活動などを考えていて、地域に貢献している人たちのことをメディアに取り上げてもらいたいと思っていました。
―PR塾に入って最初に手ごたえを感じた成果は何でしたか。
それが入塾してから1年間本当に成果が出なかったんです。失敗するのが嫌でリリースなどを書いてもメディアに電話するのを躊躇して、記者クラブに足を運んでもリリースを投げ込むだけで記者さんと話すこともなく帰るみたいな感じでした。
それが悔しいのもあったし、PR塾のコミュニティから出たくない思いも強かったので、卒業後もVIPプログラムに参加して学びを継続することにしました。初めてメディア掲載が決まったのは今年の4月で、カフェが開発した「鉄クッキー」という商品が朝日新聞の地方版に掲載されました。
―どうやって掲載を獲得したのですか。
千葉県の記者クラブにリリースの投げ込みと記者レクを申し込んだのですが、講義で教わったように単なる商品の紹介ではなく社会性の高さなどを頑張って伝えたところ、ちょうど幹事社だった朝日新聞の記者さんが興味を示してくれました。
記者レクは初めてだったのでとても緊張しました。記者の方6名ほどが説明を聞いてくださったのですが、声は震えるし何から説明すれば分からないような状態でした。それでも用意した資料を配って説明を終えると、次は写真撮影になり、持参してきた製品だけ撮るのかと思ったら、「広瀬さん、手に持ってください」と言われて、自分が撮られることは想定していなかったので驚きましたね(笑)。
でもその結果、朝日新聞、東京新聞、産経新聞に掲載していただくことが出来ました。さらに後日、産経新聞の記事を見たBAYFMさんに、ラジオ番組のコーナーで紹介していただいきました。

―初めての本格的なメディアアプローチで4媒体の掲載を獲得して、自信になりましたか。
取材を受けても本当に記事になるのか疑心暗鬼だったのですが、実際に出来上がった記事を見て「やった! PR塾に入ってよかった」と思いました。メディアで紹介されたことでクライアントさんへのお問い合わせが増えましたし、鉄クッキーを販売したいという要望も入るなど、PRの凄さに感動しました。VIPに入る前から、なんでもっと早く行動しなかったんだろうとも思いましたね。
―今後の目標を教えてください。
八千代市はとても子育て施策があまり充実しておらず、マイナーなイメージなのですが、その中でも素晴らしい活動をされている方はいますし、素敵な場所もいっぱいあります。私としては、子育てを軸に地域の魅力を伝えていく活動をメインにして、最終的に八千代市をもっと有名にしたいという思いが強くあります。
―そうした広瀬さんの活動について、ご家族はどう思っているのでしょうか。
PR塾に入ったことを子どもたちに話した時は、「そこ、本当に大丈夫なの」と言われたりしました(笑)。メディア掲載を獲得した際に記事が載った新聞を見せて「この鉄クッキーで八千代市が有名になるんだよ」と説明しても今一つピンと来ていないようでしたね。
―ご家族の理解が深まるように、今後もっと実績を積んでいく必要がありそうですね(笑)。
そうですね。ありがとうございます(笑)。
―例えば広瀬さんのように専業主婦でPR塾に入ろうとされている方も多いのですが、そうした方々に経験者としてメッセージをお願いします。
私のように最初はパソコンスキルすらなくても成果を出すことができたので、誰かを応援することが好きな人には絶対にお勧めです。PR塾のコミュニティも皆さんの視座が高くて素晴らしいですし、情報共有も活発なので迷っているならぜひ入ってください。
―素晴らしいメッセージをありがとうございます。
※2024年8月取材時の情報です

The post PR未経験から一念発起して入塾。子育てをテーマに地域の魅力を世の中に広めたい―広瀬ひろみさん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
]]>The post 試行錯誤の中で出会ったPR塾。中小企業支援と自社サービスの認知拡大を目指す―秋谷貞男さん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
]]>PROFILE
牛丼のすき家を経営する株式会社ゼンショーホールディングスにてストアマネジャー/エリアマネジャーとして関東圏十数店舗、新入社員&百数十人のアルバイト教育・店舗管理等を行う。その後エレクトロニクス商社のマクニカホールディングス株式会社でマーケティング課長/営業所長等でマーケティング(マーコム含む)セールスを経験。 2008年SOSEI Tech株式会社を設立し、半導体含むエレクトロニクス系の中小設計開発会社の営業・マーケティング支援および在宅医療介護サービスを運営。2021年より訪問鍼灸マッサージサービスの認知向上を目的とし精力的に活動しつつ、中小零細企業向けに積極的な広報PR支援を行っている。
lit.link: https://lit.link/soseibouzu
―まず、秋谷さんのキャリアについて教えてください。
最初は牛丼のすき屋を運営するゼンショーホールディングスに入社して3年間ほど勤務し、次にエレクトロニクス商社のマクニカホールディングスに転職してマーケティングやセールスの業務に従事しました。同社に15年間務めた後に退社し、2008年に独立しました。
―どうして独立しようと思ったのですか。
日本には高い技術を持つ中小企業が数多くありますが、その多くが大企業の下請けで終わってしまいます。彼らが持つ技術をもっと世の中に広めていくために、営業やマーケティングの面で支援したいと考えたのです。中小企業の経営者は職人肌で、マーケティングなどの知識がない人が多いため、前職の人脈も使って大手企業とのマッチングを促進したいと思いました。

―ビジネスは順調でしたか?
それが、独立して数カ月後にリーマンショックが起きてしまったため、仕事が全くなくなってしまったんです。そこで、弱電分野以外にも業務範囲を広げたり、ベンチャー企業の支援を行ったりしましたが、なかなか上手く行った案件はなかったですね。
いろいろと手掛けて、エンジニアの人材派遣や在宅医療介護サービスをするようになりました。医療やヘルスケアの分野は参入障壁が高かったのですが、国が在宅医療を推進し始めたのを機に、訪問看護リハビリステーションと訪問鍼灸マッサージ治療院の運営の他、立上げ支援などの仕事を始めて現在も継続しています。
―PR塾についてはどのように知ったのですか。
コロナ禍になって中小企業の資金調達が難しくなったため、補助金申請や銀行からの資金調達支援なども行っていたのですが、それも段々と厳しくなり、次に何をしようか考えた時に広報PRの業務に意識が向かいました。
もともと中小企業の支援がしたくて独立しましたが、先ほどお話した通り経営者の多くはマーケティングやPRの知識を持っていません。だから逆にブルーオーシャンではないかと考えたのです。また、自社で訪問鍼灸マッサージの事業を展開するにあたって、サービスの存在を世の中の人にもっと知ってほしいとも思いました。
PRに関してはマーケティングの経験があったためイメージは掴めていましたが、とりあえず一から習ってみようと、オンライン講座を受講することにしました。費用の割に満足できる内容ではなかったのですが、「こんなものかな」と。
そんな時にオンライン交流会で知り合ったPR塾生の方がPR塾を絶賛していたので、気になって個別相談を受けてみることにしました。最初は入塾をためらっていましたが、そうするうちにPR塾の体制がどんどん整っていき、塾生が増えていくのを見て、「ここに入れば何か掴めるかもしれない」と思って入塾を決意しました。特に、新規クライアント獲得のノウハウを得たいという気持ちが強かったです。
―プレスリリースの書き方やメディアアプローチのノウハウではなく、顧客獲得が主な目的だったのですね。実際に入塾した印象はいかがでしたか。
数多ある他の講座と比べて内容がしっかりしていると思いました。コロナ禍では特に中身の薄い講座が乱立しましたが、添削やコンサルティングなど非常にきめ細かいサポートを行っていることにある意味感動しました。
―在塾時代に多くのメディア掲載を実現されましたね。
甲冑姿で全国のお城を巡る西郷光太郎さんのPRを手掛けて、地方メディアを中心に掲載や放送を獲得し、最終的にはNHKの全国放送につながりました。西郷さんはもともとマッサージのお客さんで付き合いが長かったのですが、目が見えなくても全国を探訪したいという熱い思いを持たれていたので、PRの面で支援することにしました。

―秋谷さんは講義の他にも交流会やその他の集まりに積極的に参加していましたが、そうした場で仕事を獲得することもあったのでしょうか。
PR塾には優秀な方が沢山いますが、PRの仕事を一人で抱え込もうとすると限界があるため、塾生同士でチームを組むケースがよくあります。特に電話などによるメディアアプローチを苦手とする人が多かったので、慣れている私がその部分を引き受けたりしていました。
―今はVIPプログラムに入っていますが、当時の仲間たちとの交流は続いていますか。
そうですね、主に飲み会だけは皆勤賞です (笑)。みなさん頑張っていますし、全くの未経験で入塾してPRプロデューサーとして活躍している人もいて凄いと思います。私はもともとPRに近い仕事をしていたのでそこまでハードルは高くなかったですが、ゼロから学んで数年でバリバリ仕事をしている人がいるのは素晴らしいです。
―現在はどんな仕事に力を入れていますか。
引き続き訪問鍼灸マッサージの業務とエンジニアの派遣、PR案件の獲得に力を入れています。PR案件に関しては、最近ではスタートアップの交流会などに参加して、若い経営者にアプローチしていて、新規案件の依頼がいくつか入っています。スタートアップ支援を積極的に行う政府の方針もあって案件自体は増えています。その一方で本当に実力のある企業しかメディアは取り上げてくれないので、慎重にやっていきたいと考えています。
自社のPRについても引き続きチャレンジいきますが、特にテレビが訪問看護・マッサージという業態を取り上げることに対して慎重な傾向があり苦戦しているのも事実なので、次の手として出版も考えています。
―今後の目標について教えてください。
まずは、PR代行業務でしっかりコミットできる案件獲得を目指していきたいです。以前はSNS全盛の時代に、私のような年代の人間がPRを手掛けるのは難しいかもしれないと思っていましたが、メディアPRに関してはまだこれまでの経験を生かして活躍できる余地があると分かりました。
―これから入塾を検討されている人たちにメッセージをお願いします。
個人的に、PR塾を運営するLITAには大いに期待しています。これだけの規模で1年間みっちり展開しているPR講座は少ないですし、塾生へのサポートも非常に手厚い。PR塾は数あるPR講座の中でも断トツだと思いますので、入塾を検討されている方はぜひ参加してほしいと思います。
―嬉しいメッセージ、有難うございます。

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]]>The post 挫折の中で辿り着いたPR塾。経営者の参謀として獲得したスキルを生かす―櫻井晃さん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
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神奈川県横浜市在住。関西学院大学卒業後に日本ペイント・インダストリアルコーティングス株式会社に就職。その後、YouTuber、日雇いのアルバイト、派遣社員、無形商材のプロモーターなどを経て2021年9月にPR塾に入塾。2022年1月に起業して6社のPRを経験した後、現在は主に個人起業家の裏方としてコミュニティ運営や事務のサポートに携わる。
Facebook: https://www.facebook.com/profile.php?id=100041319881453
―さまざまな仕事を経験されていますが、最初は大企業で会計の仕事をしていたそうですね。
新卒で入社した企業の経営管理部に配属されました。新人なので当たり前なのですが、雑務っぽい仕事がメインで、自分でなくてもできそうだと感じてやや物足りなさも感じていました。ただ、想像していた会社員生活とは少し違いましたが、大きな会社でしたし当時はこんなものなのかなと思っていました。
そんな時、大学の同窓会に参加してネットワークビジネスをやっている先輩と知り合いました。公私を問わずすごく充実した生活をされているお話を聞き自分もやってみようと、その人に勧められるがままに本を読み、セミナーに参加し、人に会ったのですがなかなか上手く行きませんでした。しかしながら都合の良い話ばかりに耳を傾けて意識だけは高くなっていたので、3年後に部署異動の話が出たタイミングで会社を辞めてしまいました。

―その後はどうされたのですか。
いろいろな人たちと知り合う中で、当時25万人の登録者がいるYouTubeチャンネルを運営している方から声を掛けられて、コンテンツの企画を考えたり、編集したり、ビデオカメラを持って渋谷の街に繰り出して通行人にインタビューしたりする仕事を1年間ほどやりました。その仕事がなくなったので、食い扶持を稼ぐために日雇いバイトや動画作成の手伝いなどをしましたが、単発の仕事を外注として受けるだけではお金にならず「もっと早く楽して稼ぎたい!」と、中古PCの物販やFX取引などにも手を出しました。
―本当に何でもやっていたのですね。安定した会社員生活を捨てることに不安はなかったのですか。
不安しかなかったです(笑)。実は会社員時代に投資詐欺に引っかかってしまったんです。異業種交流会で知り合った人から「空気清浄機の”オーナー権”を購入するだけでそのレンタル料から毎月配当を受けられる」と持ち掛けられたのですが、投資したお金の大半が戻らず、多額の負債を抱えてしまいました。そのため、給料が入ったその日のうちに支払いのため8割ぐらいのお金が無くなっていました。そんな状況で会社を辞めたので、今にして思えば感覚がマヒしていたというか、先を全く考えていなかったですね。
―PR塾にはどのような経緯で入ったのですか。
その後、NTTドコモ系列の会社で派遣社員をしながら夜はバーでアルバイトをしていたのですが、隙間時間を使って無形商材を販売する人たちをサポートする仕事も始めました。モニターになってもらった方のために教材や動画やLPを作ったのですが全く売れず、どうしてこんなに売れないのかと悩みました。認知を高めるために広告を打たなければいけないのかなと考えていた時に、フェイスブックでPR塾の広告を見たんです。自分には縁がないと思っていたメディアに働きかけることで、無駄に広告費をかけることなく認知を拡げられるというメッセージを見て「今必要なのはこれだ!!」と感じましたね。

―実際に入塾した印象はいかがでしたか。
塾生には自社のPRや、PRをこれから仕事にしたいという目的が明確な人たちが多く、収入や肩書などによる垣根が塾生間にほとんどないことが印象的でした。Slackで質問を送ると決められた期日内に回答がしっかり返ってきますし、その内容もテンプレではなく、相談者の状況に合わせた専門性の高いフィードバックがもらえて、非常に親切だなと感じました。
―まずは無形商材のPRから始めたのでしょうか。
実は無形商材のPRは在塾中に立ち消えになって、PRするものがなくなってしまったんです。でもPRの仕事を早く始めたかったので、SNSアカウントをゼロから作り直して自分が今何をしているかを発信したり、塾生の方々のSNSをフォローしたりして、繋がりを広げていきました。そうするうちに声掛けしてくれる方が出て来て、モニター案件が獲れるようになりました。
―モニター案件をPRした成果はいかがでしたか。
入塾後すぐに3社の案件を手掛けることになり、PR塾で教わった通りまずはPR設計してメディアアプローチを中心に進めていきました。メディア露出につながったのは残念ながら1社だけでしたが、ラジオ番組への出演をきっかけにヤフーニュースに転載されました。その後に契約した別のクライアントさんは「BUSINESS INSIDER JAPAN」に掲載されて拡散されました。
―徐々に結果が出るようになっていったわけですね。
掲載が連鎖する、いわゆる「シャンパンタワー」を起こせたわけではないのでそこは反省点ではありますが、いつ何をすれば良いかという感覚は身に付いたと思います。成果を挙げるために短期間で講義動画をすべて繰り返し見て勉強しましたし、テキストに付箋を貼って見たい情報をすぐ見られるようにするなどの工夫もしました。
―櫻井さんの場合はPR塾を始め、いろいろなコミュニティに顔を出していた印象です。
塾生が増えていく中で埋もれないように、とにかく覚えてもらおうと赤い服を着てよく集まりに出かけていました。赤にした理由は、当時参加していたビジネス交流会である人に「赤か金色のものを身に付けると良い」と言われたからです。それで抵抗はあったものの、目立つための作戦としてジャケットやシャツやPCを赤に寄せていったら、身の回りが真っ赤になってしまいました(笑)。

―入塾前と後で大きく変わったことはありますか。
人間はその時に繋がっている人や環境で大きく変わると思っていて、余裕がない人たちの集まりに加わると、自分自身も余裕がなくなってしまいます。PR塾に参加している人たちは入塾費用などの面も含めて一定のハードルを越えてきている方が多いので、心に余裕がある人が多い気がします。
「与える人(ギバー)」「奪う人(テイカー)」という表現がありますが、PR塾の人たちは他者の成功を喜んだり成果をシェアしたりと、圧倒的にギバーが多い。そうした人たちと関わるうちに、考え方や言葉を使い方に影響を受けるようになりました。周りにいる人の層も変わるので、入塾前より視座が高くなった気がします。
―現在もPRプロデューサーとしてだけでなく、さまざまな仕事に関わっていると思いますが、PR塾で学んだことをどう生かしていきますか。
今、事業を整理しているところで核になる部分についてはまだ確立していないのですが、今後は事業者の方々をサポートする仕事を中心にしていこうと考えています。単なる作業の外注先ではなく、クライアント様のお客様が何を求めているかを意識しながらお困りごとに先回りしていきたいと思います。そこでも、PR塾で学んだ企画書や事業説明資料の使い方や、物事の考え方が役立つのではないかと思っています。
―最後にPR塾への入塾を検討している方にメッセージをお願いします。
今、PR塾に興味を持つということには何かしら意味があると思うので、少しでも気になるなら飛び込んでみてほしいですね。今後はこれまで以上に「何を買うか」よりも「誰から買うか」が重要だとよく耳にしますが、PRのスキルを獲得することは良いものを作って世に出す人が、お客さまに選んでもらえる一助になると思います。
身の回りの経営者さんを見ていると、自称コンサルタントの方に年間100万円単位のお金を払って状況が悪化しているケースが少なくありません。自分や周囲をPRできるようになれば、そこまで多額のお金をかけなくても、喜ばれながら信用の貯金を積むことができます。PR塾を通じて提供されるものには支払う金額以上の価値があるので、個人でも組織でも事業をされている方には入塾をお勧めします。
―若くしてさまざまな経験を積まれたからこその説得力あるメッセージですね。本日はありがとうございました。
※2024年7月取材時の情報です。

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]]>The post デザインとPRスキルを掛け合わせ自身の本業とクライアントの成長に繋げる―髙橋まり子さん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
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1979年静岡県浜松市生まれ。湖西市在住。 高校卒業後、上場企業(デザイン部署)に就職するも3年で退職。 その後3回転職し、経済的にも精神的にも不安定な20代前半を過ごす。 「大好きなデザインの仕事に戻りたい」 と地元の印刷会社に再就職。グラフィックデザイナーとして編集を担当し、6年間で印刷知識と編集スキルを身につける。結婚・出産で印刷会社を退社し、1人目を出産後の2013年、起業家セミナーを受講。 2015年(34歳) で2人目の出産直前に起業届けを提出し、スモールステップで仕事をスタート。2023年7月PR塾に入塾。 2024年PRモニターのサポートをスタートし、実績と経験を積む。
―本業は、フリーランスのデザイナーだそうですね。
フリーランスになる前は、印刷会社に6年間ほど勤務してデザインの仕事をしていました。高校卒業後にも一度デザインに関わる仕事に就いたのですが退職し、エステティシャンになったり看板制作会社に勤めたりとさまざまな職場を経験しましたが、やっぱり大好きなデザインの仕事に戻りたいと思って現在に至ります。
―フリーランスになった理由は何ですか。
結婚と出産を経て、産後に元の会社に復職するには距離的に難しかったことに加え、再就職するにも希望に合う求人が見つからなかったので、自分でやってみようと考えたんです。それで起業塾に入りましたが、最初から「起業するぞ!」とやる気に満ちていたというよりは、とにかくデザインの仕事がしたい一心で、子育てと並行しながら少しずつフリーランスの道を歩み始めたという感じでした。
―PR塾に入ったきっかけは?
フリーランスになった後に、絵本作家で朗読家の北島多江子さんと湖西市のイベントで知り合いました。その後、北島さんとはSNSでつながって、メディア掲載を獲得するのを目にしていました。同じく、北島さんと出会った私の友人から、北島さんがPR塾に入って活動しているという話を聞き、興味を持つようになりました。
―面白い繋がりですね。当時はPRの必要性を強く感じていたのでしょうか。
フリーランスとして宣伝用チラシなどを制作していましたが、お客様に納品した後、実際の集客状況や売上への貢献できているだろうか?という想いがありました。そこで、PRを通じてメディアへの露出もお手伝いさせてもらうことで、お客様の事業の拡大や売上アップに繋げられるのではないかと。それまでは印刷会社の知識と経験だけでやってきたので、武器となるような具体的なメソッドを身に付けて、自信を持ちたいとも思いました。

―クライアントさんには主にどのような方が多かったのですか。
最初は、起業セミナーの講師の方からチラシの依頼をいただきました。その後は起業塾で知り合った個人で事業を営まれている方が多かったですね。紹介でお仕事を頂くこともあり、さまざまな分野のお客様の名刺やチラシなどを担当してきました。
―実際にPR塾に入った印象はいかがでしたか。
情報量が多く吸収するのが追い付かない部分はありましたが、講師・塾生の皆さんが前向きに頑張っている様子を見て、私も頑張ろうと思えました。フィードバックやアドバイスでとても勇気をもらえる場だと思います。
―デザインは職人的なスキルが必要ですが、PRにはコミュニケーションスキルも求められます。そのあたりは問題なかったでしょうか。
正直なところコミュニケーションは苦手な方で、上手く情報や想いを伝えるのが難しいと感じることもありました。ただ、メディアへの電話アプローチの仕方などもPR塾の講義で具体的に教えてもらうことができ、その通りにやれば良いんだと思って取り組むことができました。
―最初にPRに取り組んだのはどのような案件でしたか。
まずは北島さんの絵本プロフェッショナル協会のPRをお手伝いする他、リーフレットを作らせていただいたご縁から、モニターとして静岡県を拠点とするブライダルプランナーチーム「One Page」さんが主催するフォトウェディングのPRを担当させていただきました。
―PRを実際に自分で行ってみて、苦労したことはありますか。
北島さんは比較的大きなメディアからアプローチを開始しましたが、結果が出せず、地方メディアへのアプローチにシフトして、ラジオ局の取材を獲得できました。それをきっかけに、ローカルメディアから徐々に掲載が連鎖する「シャンパンタワー」の最初の一端を体感することが出来ました。
絵本の読み聞かせ会のプレスリリースを送った後は、そこで知り合えた記者さんに専門家企画書を作成して送り、中日新聞の人物紹介コーナーに取り上げられました。粘り強く連絡先を聞いたり追加情報を送ったりすることで、記者さんとの繋がりが作れたと思います。
―フォトウェディングのPRはいかがでしたか。
地方新聞2社と地元のケーブルテレビの取材が獲得できました。北島さんのPRを通じて知り合った記者さんに情報を送って、湖西市の担当記者さんに繋いでいただいた形です。やはり記者さんも人間なので、信頼関係をつくる事がとても大事だと実感できました。

―PR塾に入って良かったことは何ですか。
一番の学びになったのは塾生のみなさんのマインドの部分です。私の場合、決して積極的な理由だけで起業したわけではないですが、塾生仲間や講師の皆さんが前向きに励ましてくださったこともあり、マインドセットが一段上がったと思います。
Slackでの添削もとてもありがたく、講師の方のアドバイスによって自分のプレスリリース作成の精度も上げていけたと思います。 講義で足りない部分をアーカイブ動画で繰り返し確認できましたし、結果を出し続けているリアルな内容だからこそ、講義の内容や得られたマインドセットを素直に受け止めることを意識しました。
具体的なメソッドについても電話のかけ方ひとつから教えてもらえるので、すぐに行動に移せました。デザインの仕事だけやっていた時よりお客様に提供できるものが増えたので、自信を持って目標を立てられるようになりました。
―入塾前に考えていたように、PRを武器とした活動は始められていますか。
これからというところですね。子どもの夏休み期間ということもあり、今はメニューや料金設定などをじっくり考え、秋以降は本格的にPRのサービスを提供していけたらと思っています。デザインの仕事絡みでなくても、PR単体の案件も積極的に受けていきたいです。
―数年後の理想像のようなものはありますか。
まずは、周りのお客様にPRとデザインで、今まで以上の付加価値を提供し、もっと貢献できるようになりたいと思っています。フォトウェディングのクラアントさんの事業が撮影会をきっかけに拡大して行く際には、ぜひ、継続して関わりサポートさせて頂ければと考えています。
将来の理想としては、一人でやっていくのは限界があるので、チームとして仕事に取り組めたらという夢があります。PR代行もそうですが、ホームページ制作は得意な方と協業し、お互いの苦手な部分を補完しながら、お客様に提供できるサービスの幅を広げられたらと思っています。
―最後にPR塾に入ろうと考えている方にメッセージをお願いします。
自薦の広告ではなく他薦の口コミの時代にPRはますます重要視されていくと思いますし、私のように地方で活動するPRパーソンはまだ少ないので、始めるなら今がチャンスだと思います。
先日フォトブライダルに取材に来ていただいた記者さんから、個人でプレスリリース作成やアプローチを手掛けるPRパーソン会ったのは私が初めてとお聞きしました。地方在住の方にとって特に、サービスに付加価値を付ける手段として、PRには大きな可能性が広がっていると思います。
―地方在住の方には心強いメッセージですね。本日はお話有難うございました。
※2024年7月取材時の情報です。

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]]>The post 情報発信とPRで挑戦する人々をサポート、「プロの裏方」として地方創生に取り組む―田中可奈子さん first appeared on PRプロフェッショナル協会.
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東京在住時に大手メディア会社で、Webニュース配信などの情報発信を実務経験。妊娠を機に退職。 滋賀県高島市へ移住後は、地域の情報がネットから得られなかった経験から、2017年にローカルメディアを立ち上げる。その3年後にコミュニティスペースをオープン。行政や企業のプロジェクトに参加し、発信し続ける。ライフワークは「挑戦・発信(コミュニケーション)・循環」でお客さまの未来を変える。 小学5年生と3年生の2児の母。
Facebook:https://www.facebook.com/k.t.takashima
―田中さんはこれまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。
地元の岡山県にある製造業の他、派遣社員としてさまざまな会社に勤務していましたが、いずれは自分で何かしたいと考えてパソコンやウェブなどの勉強をしていました。その後、上京してKADOKAWAの「ウォーカープラス」の部署で働くことになり、ライターさんが上げてくる原稿のチェックやWebニュース配信などの業務を担当していました。派遣社員でしたが、毎日大量に届くプレスリリースから面白そうなものを仕分けしたりするうちに、自分でも記事を書くようになりました。
―もともとメディアの仕事に興味があったのでしょうか。
はい。岡山にいた頃はライター講座に通ったこともあります。もともと情報発信には関心を持っていましたが、地方なのでそうした仕事はありませんでした。
―メディアの世界の仕事はいかがでしたか。
そもそもミーハーで(笑)、新しいものに触れたり好奇心を刺激されたりするのが好きだったので楽しかったですね。でも、将来自分で情報発信を行う想定はしていなかったです。夫の地元である滋賀県高島市に移住することになった際に、あるライターさんから「地方でもライターをやったらどうか」と勧められたのもあって今に繋がっています。
―地方でライターとして活動するのは難しかったのでは?
高島市に移住後、すぐにライターとして活動できたわけではないです。子どもが小さい頃はスクラップブッキングと呼ばれるペーパークラフトのアルバムづくりをしていたのですが、初めて住む地域で人脈はないし、思うように人を集めることもできませんでした。でも、働き続けたいという意思はあったため、自分で情報を発信しようと決めました。
それで、人や情報が集まるお店に通ったり、行政が主催する講座に通ったりするうちにだんだんと繋がりが生まれて、地域の情報を発信する「たかしまじかん」というサイトを立ち上げました。
―サイトの運営は順調でしたか。
基本的にはボランティアで収益はほとんどなかったのですが、取材を口実にさまざまな人に会えましたし、地方創生に関する情報発信は興味を持っている分野なので苦にはならなかったです。でも最初は怪しまれることが多く、正式に取材依頼をしても断られてしまうので、お客さんとしてお店を訪問して「ウェブに情報を載せても大丈夫ですか?」といった感じでお話を聞いていました。サイト自体は今年閉じることになったので、約7年間続けたことになります。
―地方創生に興味が湧いた理由は何ですか。
私の場合は人が好きなので、人を通してその場所が好きになっていく感覚です。よく移住してきた人から「高島のどんなところが好きですか?」と聞かれるのですが、元々は特に好きではなかったんです(笑)。でも地域の人と繋がりだすと、その周りの人たちや環境もどんどん好きになっていきます。現在携わっている地方移住や観光促進の仕事も、「人が好き」という部分が大きいですね。

―PR塾にはどのようなきっかけで入ったのですか。
サイト運営からの収益もなかったですし、このまま年齢を重ねて50歳を迎えるのは嫌だなと思うようになり、それまでひっそりとやってきたことをもっとオープンにしていこうと考えました。
PR塾に入る前に起業塾でも2年ほど学んだのですが、そこは一般消費者向けのビジネスを中心に教えていて思うような成果が出なかったのと、自分はその方向性ではなく、企業と仕事をして収益基盤を固めた上でやりたいことができたら良いなと。地域の中小企業の多くがPRを十分にできていない状況を目にしていたため、以前から気になっていたPR塾に入ることを決意しました。
―実際に入ってみていかがでしたか?
メディアで働いていたのである程度はできるのではないかと思っていましたが、立場が変わればこんなにも変わるのかと驚きました。プレスリリースもなかなか納得いくものが書けなかったですし、やってみて初めてできないことの多さに気付きました。本当に学びしかなかったです。
始めの頃は十分に動ききれていなかったのですが、プレスリリースや企画書の作り方をしっかりインプットして、3件のモニタークライアントさんの新聞掲載を実現できたことで、情報を発信する大切さを実感しました。独学や思い込みではなく、実績のあるPR塾で学んだことによって、案件獲得にも自信を持てるようになりました。

―現在はどのような案件を手掛けていますか。
PRでは期間限定の企業案件とPR塾の仲間のサポートとして入っている案件の2つ。PRも含む地方創生の分野では、滋賀県と高島市の行政案件が4つ入っています。自治体案件ではさまざまな部署と関わっていますが、どの部署においても情報発信の必要性が高いと感じています。
―自治体の案件については、どのように獲得したのでしょうか。
口コミや紹介が多かったですね。「こんなことができるメンバーがいないか」といった話が出たタイミングで、私の名前を挙げてくださる人がいたりもしたようです。
―田中さんの名前がある程度知られていないと難しいと思いますが、どうやって周囲に認識されるようになったのでしょうか。
メディア出身だったので、今の時代に何が注目されるかかについては、ある程度分かっていました。たとえば、コロナ禍に地方から移住してくる人たちのためにコワーキングスペースをオープンして、SNSにも自分の顔を出すなど、積極的に表に出ていくようにしたんです。「たかしまじかん」のサイトにはあまり露出しなかったのですが、誰が運営しているのかと裏で話題になったりもしていたようです。

―コワーキングスペースとして開いた場所は今どのように活用しているのですか。
今は積極活用しておらず、事務所代わりに使っています。コミュニティスペースとして、たとえば企業の研修やイベントに使いたいといった申し出があった場合にだけ時間貸しする感じです。人が集まれる場ができた効果は大きく、周りからの信頼度も上がりましたし、繋がりのある人が他の人を連れて来てくれたりするなど、確実に恩恵を受けています。
―PRのノウハウと他のスキルを掛け合わせて活動する塾生は多くいますが、田中さんの場合もライティングやマーケティングスキルとの相乗効果のようなものは感じていますか。
どの場所に行っても、PRのスキルは有用ですね。私の場合は発信(コミュニケーション)がテーマになっているので、ウェブマーケティングの流れを学んだ後にPRを学んだことがとても役に立っています。
今後はスキルを生かして全国の地方創生に関わっていきたいので、法人化に向けて動き始めているところです。そのためにもPR案件の実績をもっと積み重ねて、もっと訴求できるように動いていきたいと思います。
―着実に積み重ねてきたことの成果が出ている印象です。
コツコツ努力するのはどちらかというと苦手なのですが、振り返ってみると好きなことだから無理せず続けられましたし、積み重ねてきた信頼が複利のように大きくなったことで、ようやく今にたどり着いた感覚があります。
―最後に、PR塾に入ってくる方たちにメッセージをお願いします。
私の場合は「50歳を変える!」という目標を掲げて行動し続けた結果、決意した頃とは違う未来に向かっています。何かを始めるのに最も早いタイミングは今ですし、確実に未来は変わるのでぜひ行動してほしいと思います。
―全国の地方創生で活躍されるのを楽しみにしています。本日はお話有難うございました。
※2024年6月取材時の情報です

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